「なに、って、いつもの通りです」
「いつもの通りって?」
「つまり、いま喰べたようなもの」
「その前の日は?」
「べつに、変わったことはありません」
「それで、お炊事なんか、どうなさるの?」
 黒江氏は、ふしぎそうな顔で、キャラコさんのほうに振り返りながら、
「お炊事、って、なんのことです」
「ご飯なんか、どんなふうにしてお炊《た》きになるの」
「ああ、その事ですか。……飯《めし》なんか炊《た》いたことはありませんよ。米は持っているには持っているんですが、とても、そんな時間がないもんだから」
「すると、毎日、朝も夜も乾麺麭《かんパン》ばかり喰べているってわけなのね」
「そうです。この半年ばかり、ずっとこんなふうに簡便《かんべん》にやっているんです。……それでなくとも時間が足らないんだから、できるだけそんなことを切りつめなくては」
「でも、そんなことばかりしていて、身体のほうはどうなるんですの」
「身体?……身体のことなんか関《かま》っていたら仕事なんかできやしません。そのほうは、当分おあずけです。……喰わないわけじゃない、ともかく、キチンキチンと喰べているんだから……」
「乾麺麭《かんパン》ばかりね」
「ええ、そうです」
 従兄《いとこ》の秋作氏の友達に、画かきや若い学者がおおぜいいるので、身体のことなんか一向かまわないそういうひとたちの無茶苦茶な勉強ぶりというものを知らないわけではなかったが、それにしても、こんなひどいのは初めてだった。
 キャラコさんは、腹が立ってきた。
「なるほど、たいしたもんだわね!」
 自分達の仕事が大切なら大切なだけ、こんな無茶苦茶な仕方をしてはいけないのだった。
(こんなにひどく咳をしながら、こんな生活をつづけていたら、それこそたいへんなことになってしまう)
 どうしても、このまま放って置けないような気がしてきた。
 このひとたちを丈夫にしてあげることは、間接に大きなものに寄与することになる。一分ほど考えたのち、キャラコさんは、四人にくっついてゆくことに決心した。
 こういうすぐれた仕事に、じぶんも参加することができると思うと、たいへんうれしかった。
 須走《すばしり》の村へつくと、四人は手分けして買物をはじめた。キャラコさんは、そのちょっとの暇を利用して、すぐそばの茶店で、山中湖ホテルにいる立上氏にこんなふうに手紙を書いた。

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あたしは、いま、生まれてはじめといっていいくらい、つよく、感動しています。
ここまでくる途中で、四人の人と道連れになり、その人たちといっしょに、これから丹沢山の奥へ行くことに決心しました。
これから始められようとしているのは、たいへんに意義のあることで、あたしが、いくぶんでもそれに助力できることを、心から光栄に思うようなそんな、立派な仕事なのです。あたしのことはどうぞ、心配しないでちょうだい。
[#ここで字下げ終わり]

     三
 鉱山番《やまばん》が寝泊りしていたバラック建ての小屋は、あわれなようすで崖の上に立ち腐れていた。
 扉《ドア》などはとうのむかしになくなって、板敷きの床のあいだから草が萌《も》えだし、枠だけになった硝子《ガラス》窓を風が吹きぬけていた。
 小屋のなかへはいると、四人の一行はすぐ背嚢《ルックザック》をおろし、うす暗い蝋燭《ろうそく》の光をたよりに、探鉱や分析試験のこまごました器械を組み立てはじめた。
 この四人自身が、それぞれ精巧な器械のようなものだった。無言のままで、すこしの無駄もなくスラスラと仕事を片づけてゆく。
 キャラコさんは、暗いすみのほうへ遠慮深く坐って、いかにも馴れきった四人の仕事ぶりを感嘆しながら眺めていた。
 古びた粗木《しらき》の卓の上に、レトルトや、分析皿や、そのほか、さまざまな道具がならび、荒れはてた小屋は、たちまち実験室のようないかめしいようすに変わった。
 四人は、かんたんな日誌をつけおえると、寝袋《スリーピング・バッグ》をとり出して、さっさと寝支度にとりかかった。
 キャラコさんも、それにならって背嚢《ルックザック》を枕にすると、じかに床《ゆか》の上へ長くなった。するどい寒さが爪さきから背筋のほうへ駆けあがる。きまりの悪いほど歯がカチカチと音をたてた。
 かたく眼をつぶって眠ろうとしていると、おもおもしい足音が近づいてきて頭の近くで止まった。
 眼をあいて見ると、四人の指導者《リーダー》格の山下氏がすぐそばに突っ立っていて、つめたい顔つきで、じっと見おろしている。
「あなたは、そこで何をしているんです」
 キャラコさんは、おどろいて跳ね起きた。
 意外な挨拶だった。説明はしなかったが、自分の意志はちゃんと四人に通じてるのだと思っていた。うるさがりもしないで従《つ》いてくるままにさせたの
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