はその証拠だとかんがえていたのである。途方に暮れて、その顔をぼんやり見あげていると、山下氏がいかめしい声で、いった。
「寝るなら、どこかほかのところへ行って寝てください」
キャラコさんの心臓が瞬間、キュッとちぢこまった。が、すぐ元気をとりなおして、しっかりした声でききかえした。
「あたし、出て行かなくてはなりませんの」
山下氏は超然とした眼つきで、黙ってキャラコさんの顔を見つめている。
……それは、いまいったばかりだ。
キャラコさんは、蚊の鳴くような声で、つぶやいた。
「……あたし、ここにいたいのですけど」
対等でものをいうつもりなのだが、いつのまにか哀願するような調子になっているのが情けなかった。
山下氏が、詰問《きつもん》するような口調でたずねた。
「なんのために?」
キャラコさんは、できるだけまっすぐに胸をはると、
「あたし、あなたがたのお手伝いをしたいのです。……力のつく食物をこしらえてあげたり、女でなければできないような細かいことをしてあげたいと思って、それで……」
「たいへん、有難いですが、見ず知らずのあなたに、そんなことをしていただくいわれはない。だいいち、われわれは、あなたの助力などを必要としないのですから」
キャラコさんは、熱くなって、大きな声をだす。
「いいえ、それはちがいます。あなたがたは、ご自分たちが、どんな不経済なことをしているか、まるっきり気がついていらっしゃらないのです。仕事が大切ならばそれだけ、ちゃんと喰べたり、適当な休養をとったりする必要があるんです。そんなことをうまくやってあげるためにあたしの助力が……」
ここまでいったところで、キャラコさんの言葉はピタリと唇の上で凍りついてしまった。冷然と自分を眺めている山下氏の無感動なようすが、キャラコさんのこころをすくみあがらせた。
キャラコさんは、顔をあげて、山下氏のうしろにある三つの顔を順々に眺めたが、じぶんのきもちを理解してくれそうなやさしい眼差しを発見することはできなかった。穏和な黒江氏の眼さえ、はっきりとキャラコさんを追い立てている。
これで、おしまい。いわれた通り、ここから出てゆくよりほかはないのであろう。
キャラコさんは、背嚢《ルックザック》を取りあげてそれを背負うと、黙って戸口のほうへ歩きだした。
いつのまにか空が曇り、霧のような雨が、しんとした夜気《やき》をぬらしていた。
キャラコさんは、戸口のすぐそばまで行って、そこで踏みとどまった。もういちどやってみようと決心したのである。じぶんの気持を相手に伝えることができないのは、しょせん、まごころがたりないためであろうから。
元気よく廻れ右をすると、小屋のなかへもどってきて、四人のすぐまえで立ちどまった。
「……あまり突然でしたし、それに、私自身についてだって、なにひとつ申しあげていないのですから、気まぐれだと思われてもしようのないことですけど、でも、あたしがご一緒にここまでやってきたのは、決して、いい加減な考えからではなかったのです。……道みち、おひとりからいろいろうかがって、皆さまが、どんな目的で、どんな仕事をしていらっしゃるのか、よく承知することができました。……それから、食事の支度をする時間もないほどお忙しいということもよくよくわかりましたわ。……うかがいますと、この半年ばかりの間、ずっと簡便な方法で食事をすましていらしたのだそうですね。……仕事が大切だから、食事なんかのことで時間をつぶしていられないという考え方については、あたしにはあたしなりに別な意見がありますが、それはそれとして、たとえば、あそこで咳をしていらっしゃる黒江氏についてだけ申しあげても、誰れかちょっと気をつけてあげさえすれば、もっと丈夫になられるはずなんですわ。……みなさまは、仕事のほうが忙《せわ》しくて、健康や日常の細かいことまでとても気をつけていられない。……それは、よくわかりました。……ところで、……ごめんくださいね、こんな生意気な言葉をつかって。……ところで、ここにブラブラ遊んでいる女の手がひとつあるんです。……自慢になるほどうまいというわけではありませんけど、そんなふうにばかりしつけられて来ましたので、皆さまがお仕事から帰っていらっしゃると、部屋の中がキチンと片づいていたり、ご飯ができていたり、たとえ一杯にしろ、熱い紅茶をあげたりするくらいのことはわけなくやってのけられるんです。お裁縫《しごと》やお洗濯にも相当自信がありますし、お望みなら、部屋の中に、いつも花ぐらいは絶やさないようにして置きますわ。……それから、あたしは咳によく利く薬草の煎《せん》じ方も知っているんです!」
四人の目のまえに、敏感そうな顔つきをした娘が、正直そうなようすで突っ立ち、よどまない、率直な眼差しで、
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