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あたしは、いま、生まれてはじめといっていいくらい、つよく、感動しています。
ここまでくる途中で、四人の人と道連れになり、その人たちといっしょに、これから丹沢山の奥へ行くことに決心しました。
これから始められようとしているのは、たいへんに意義のあることで、あたしが、いくぶんでもそれに助力できることを、心から光栄に思うようなそんな、立派な仕事なのです。あたしのことはどうぞ、心配しないでちょうだい。
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     三
 鉱山番《やまばん》が寝泊りしていたバラック建ての小屋は、あわれなようすで崖の上に立ち腐れていた。
 扉《ドア》などはとうのむかしになくなって、板敷きの床のあいだから草が萌《も》えだし、枠だけになった硝子《ガラス》窓を風が吹きぬけていた。
 小屋のなかへはいると、四人の一行はすぐ背嚢《ルックザック》をおろし、うす暗い蝋燭《ろうそく》の光をたよりに、探鉱や分析試験のこまごました器械を組み立てはじめた。
 この四人自身が、それぞれ精巧な器械のようなものだった。無言のままで、すこしの無駄もなくスラスラと仕事を片づけてゆく。
 キャラコさんは、暗いすみのほうへ遠慮深く坐って、いかにも馴れきった四人の仕事ぶりを感嘆しながら眺めていた。
 古びた粗木《しらき》の卓の上に、レトルトや、分析皿や、そのほか、さまざまな道具がならび、荒れはてた小屋は、たちまち実験室のようないかめしいようすに変わった。
 四人は、かんたんな日誌をつけおえると、寝袋《スリーピング・バッグ》をとり出して、さっさと寝支度にとりかかった。
 キャラコさんも、それにならって背嚢《ルックザック》を枕にすると、じかに床《ゆか》の上へ長くなった。するどい寒さが爪さきから背筋のほうへ駆けあがる。きまりの悪いほど歯がカチカチと音をたてた。
 かたく眼をつぶって眠ろうとしていると、おもおもしい足音が近づいてきて頭の近くで止まった。
 眼をあいて見ると、四人の指導者《リーダー》格の山下氏がすぐそばに突っ立っていて、つめたい顔つきで、じっと見おろしている。
「あなたは、そこで何をしているんです」
 キャラコさんは、おどろいて跳ね起きた。
 意外な挨拶だった。説明はしなかったが、自分の意志はちゃんと四人に通じてるのだと思っていた。うるさがりもしないで従《つ》いてくるままにさせたの
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