ええ、いってくれなくても結構よ。……要するに、あんたは、偽名《ぎめい》して、あんなところに隠れているのね」
 茜さんは露骨な嘲笑をうかべながら、
「なにか、よくよくうしろ暗《ぐら》いことがあるのね」
 キャラコさんは、返事をしなかった。うしろ暗いことなんかないといってみたところで、しょせん水かけ論だからである。
 茜さんは、勝ち誇ったような声で、
「そんなことぐらいわからないと思う? あたしはよほど前からちゃんと知っていたのよ。あんた、槇子《まきこ》さんと呼ばれると、ときどき、返事をしはぐるでしょう。……ははあ偽名をつかっているんだな、ってそう思っていたの。……いったいどうしたっていうの?……あんた、ここで、そっとママにでもなるというわけ? それとも、なにか、もっと深いわけがあるの?……いずれにしても、浮世《うきよ》を忍ぶには屈強の場所ね。……でも、そんなことは、あたしの知ったことじゃない。おうかがいしたいのは、ほかのことなの」
 キャラコさんが、落ち着いた声でいう。
「おっしゃってみて、ちょうだい」
 傲慢《ごうまん》に、上から見おろしながら、
「あんた、兄に対して、どんな感情を持っ
前へ 次へ
全48ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング