らないのか、いくら考えても思いあたることはなかった。
二三日たってから、キャラコさんが当惑しているだろうと察して、秋作氏がくわしい便りをよこしてくれた。
キャラコさんは何も知らなかったが、そのころ、東京ではたいへんな騒ぎがもちあがっていたのである。キャラコさんの居どころをつきとめようとして、東京中の新聞社の自動車が社旗をヒラヒラさせながら狂気のように走り廻っていた。
ひところは、世界の謎《なぞ》とまでいわれた失踪の千万長者、山本譲治《ジョージ・ヤマモト》がとつぜん日本に現われ、今年十九歳になる一少女を千二百万|弗《ドル》(四千万円)の財産相続人に選んだ。……世界的なビッグ・ニュースである。
どんなことがあっても『キャラコさん』をつかまえて、ひと言でもいいからしゃべらせろ。捕まえたらかまわないから、脛《すね》でもたたき折って動けないようにしてしまえ。……畜生、それにしても、写真ぐらいありそうなもんだ。
まるで、殺人犯人でも追いつめるようないきおいで狂奔したが、キャラコさんはおろか、写真さえ手に入らない。長六閣下の機敏な統制と緘黙《かんもく》にかかっては、さすがの新聞記者たちも手も足も出なかった。
キャラコさんは、ここへ来る途中、小田原の駅でこの獰猛《どうもう》な追撃隊の一行に出っくわしている。キャラコさんが改札口を出ようとすると、三枚橋のほうから新聞記者と写真班を乗せた自動車が五六台走り込んで来て、ワイワイいいながら改札口へ殺到して来た。
キャラコさんは、何が起きたのだろうと思って、ちょっと足をとめて眺めてから、そのそばを通って電車の停留所のほうへ歩いて行った。
襟《えり》のつまった紺サアジの服を着た、みすぼらしいほどのこの娘が、じぶんたちがいま血眼《ちまなこ》になって探している千万長者の相続人だとは、気のつくものはひとりもなかった。
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……お前は競馬馬ではないのだから、下劣な関心の対象にするわけにはゆかない、という長六閣下の意見には、俺も賛成である。そんなわけだから、当分お前はお前でないことにして置きなさい。
長六閣下は、あの四千万円を、日本のためになるようにお前に使わせたいといっている。最も意義あるようにあの金を使うために、すこし世間を見て置くのもいいだろう。旅行をするなり、働くなり、この機会を利用してできるだけいろいろ経
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