た。
「やってみますわ」
「丸池ヒュッテの男たちに一緒に行ってもらわなくてもいいかしら」
「あたしひとりのほうがいいと思いますわ。あまり、おおげさにしないほうが」
 夫人は、不安そうに、
「それもそうね」
 と、いって、両手の中でギュッとキャラコさんの手をにぎりしめると、
「キャラコさん、ほんとうにお願いしてよ。あなただけが頼りなのですから」
「ええ」
「どうぞ、梓を助けてやって、ちょうだい」
 キャラコさんが、強くうなずく。
「どんなことがあっても!」
 おろおろと取り乱す夫人を励ますように、その腕へ手をかけてゆすりながら、元気な声で、いった。
「だいじょうぶですわ、おばさま、そんなにご心配なさらなくとも。……きっと無事に連れて帰って来ますわ。お約束してよ」
 キャラコさんは、たいへん落ち着いていた。すくなくとも、表面はそんなふうに見えた。あわてふためく芳衛さんやトクさんを差図して魔法瓶《テルモス》に熱い紅茶を詰めさせ、厚い毛の下着とブランデーをルックザックにいれて背負うと、キュッと口を結んで玄関からすべりだした。
 雪の上に月が照り、空も、斜面も、林も、影も、なにもかも、みな真っ青
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