関のほうで、何かかすかな物音がした。梓さんはたぶん、そのとき出て行ったのだろう。
 森川夫人は蒼《あお》くなって泣き出した。もの狂わしく、キャラコさんを広間へ呼び入れると、チャーミングさんに手をひかせるために、梓さんがチャーミングさんの娘だなどと、ありもしない事を言い切った事情を手短かに物語って、
「キャラコさん、梓はあのお話をきいて悲しがって死にに行ったんです。……どうぞ、梓を助けてね、助けてちょうだい」
 キャラコさんが玄関から駆け出して、スロープを見おろすと、さっき降った雪の上に、山のうらの白樺の平地のほうにつづいている真新しいシュプールを見つけた。梓さんは木戸池へ行ったのだ。森川夫人が、泣きながらいった。
「玄関に物音がしたときに梓が出て行ったのだとすれば、今ごろはもうだいぶ行っているわけね。今から行って、うまく追いつけるでしょうか」
 トレールを迂回《うかい》せずに、尾根を伝っていきなり天狗岩の上へ出て、藪《やぶ》の急斜面を池のほうへ滑降しさえすれば、どうにか追いつける自信があった。
「ねえ、追いつけるでしょうか」
 キャラコさんは、ちょっと考えてから、しっかりした声でこたえ
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