しずかにね」
 梓さんは、両手で森川夫人の手首をつかむと、ギュッと力いっぱいに握りしめながら、
「ママ! あたし、その方と結婚するお約束をしたのよ。反対したりしないでね!」
「まあ、困ったひとね。急にそんなことをいい出して。……あなた、ママにそんな話をするの、すこし、早すぎやしない?」
 梓さんは、怒ったような顔つきになって、
「あたし、もう、子供じゃありません」
 森川夫人は、ぎょっとしたようすで梓さんの顔を眺めていたが、救いを求めるような眼つきでキャラコさんのほうへふりかえった。
 小さな時、脳をわずらったことのある気の毒な森川夫人は、こんな話になると頭の奥のほうがクラクラして、どうしていいかわからなくなってしまうのだった。
 それにしても、梓さんはいったい何をいいだすつもりなんだろう。何かおそろしいことをぶちまけそうで、キャラコさんは、すこし恐《こわ》くなって来た。
 森川夫人は、必死な微笑をうかべながら、
「そう、あなたはもう子供じゃないのね。……そんなら、どんなふうに、その方が好きになったか、ママに話せるわね」
 梓さんは、まるで暗記でもするような、抑揚《よくよう》のない調子
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