「……キャラコさん、あなた、……あたし、いま、……どんなに悲しいか、……わからないでしょう。あたしも、チャーミングさんを好きだったの。……でも、もう、いいの」
 急いで涙をふくと、またハーモニカを取り上げて、それを吹きながら階下《した》へ降りて行った。
 キャラコさんは寝台のはしに腰をおろして、ジッと考えていた。
 二人の交際が、どこまで進んでいるのか知らないが、思い過ごしすることも、多寡《たか》をくくることも、どちらも同様に危険だと思った。また、二人の関係がどうあろうと、自分などの口を出せるような事柄ではないのだから、のみこんだふうにうまく取りはからおうとするような軽薄なまねをしてはならないと、よく自分の心にいいきかせた。さしあたって自分のすべきことは、あまり遅くならないうちに山小屋《ヒュッテ》に連れかえることと、一日も早く東京へ引きあげるように提議することだけだと考えた。
 キャラコさんは、首にマフラーを巻きつけてそっと玄関からすべり出すと、天狗岩のしたまで行き、ギャップを左に巻いて岩の上へ登って行った。
 截《き》り立った断崖の上へ立って見おろすと、陰気な落葉松《からまつ》の林
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