たいて二階へ追いあげ、二人ずつひとつの寝台へ押し込んで丁寧に毛布でくるんでやった。
 キャラコさんは、梓さんと二人で仲良く寝床へ入った。山の中の夜はしんとしずまりかえり、遠い雪山が青く光っていた。

     二
 空はクッキリと晴れているし、雪質は申し分ないし、キャラコさんは午前ちゅう夢中になってすべった。
 昼食がすむと、みなは志賀ヒュッテまで遠征することになった。
 天狗岩の下を通って行くと木戸池のほとりへ出る。ちょっとしたプロムナアドにはたいへん快適で、このコースはキャラコさんも大好きだったが、長六閣下に手紙を書かなければならないので、ひとりだけ小屋に残った。
 夕靄《ゆうもや》がおりるころになって、一行はたいへんな元気で帰って来た。スロープのずっと下からキャッキャッと笑う声がきこえ、みな、なにかひどくはしゃいでいた。
 おしゃまのユキ坊が息せき切って広間へ駆けこんでくると、キャラコさんの耳に口をおっつけて、
「ね、大事件があったの」
 と、大きな声で怒鳴った。
 キャラコさんは、あわてない。広間の入口のほうを見ると、梓さんをはじめ五人の顔が不足なく揃ってるし、誰といって怪我《けが》をしたようなようすもない。それどころか、みな上気したような赤い顔をして、入口にちかいところに手をつないで一列になって突っ立って、笑い出したそうな顔でこちらを見ている。
 キャラコさんが、落ち着いた声でたずねる。
「大事件、って、なにかあったの」
 ユキ坊やは息をはずませながら、
「また、チャーミング・プリンスに出っくわしたの」
「それは、どなたのこと?」
 ユキ坊やは栗鼠《りす》のような黒い大きな眼をクルクルさせて、
「あら、まだ話してなかったんだわ。……うン、じゃ話そう。大事件なのよ」
 トクさんが走って来た。
「いやよ、あたしに、話さして」
 詩人の芳衛さんも、ピロちゃんも、梓さんも、鮎子さんも、あたしよ、あたしよ、と叫びながら飛んで来て、前うしろからキャラコさんにむしゃぶりついた。
 キャラコさんは船のように揺られながら、
「おとなしくなさいね、順々にきいてあげますから」
 六人は、急いでめいめいクッションを持って来て床の上に敷き、キャラコさんのまわりに円陣をつくった。
 まず、ユキ坊やにたずねる。
「それは、どんな方なの」
「とても上品な、四十歳ぐらいの紳士なの。……ほら、なんていったっけ、アド……」
 陽気なピロちゃんが、うっとりした声でこたえた。
「アドルフ・マンジュウよ」
「そう。……アドルフ・マンジュウのような感じのひとなの。顎《あご》がすべすべして、蒼白い色をしてるのよ」
 画の上手なトクさんが訂正した。
「オリーヴ色よ」
「……オリーヴ色でね、メランコリックな眼つきをしているの。とても上品で、丁寧なの。……素敵でしょう?」
 キャラコさんが、笑いだす。
「ええ、素敵ね。それで、どうしたの」
「……それから、……あたし、うまくいえないわ。梓さん、あなた、おっしゃい」
 梓さんは、れいの熱っぽい眼つきをして、
「あたし、いえないわ。芳衛さん、あなたおっしゃい」
 詩人の芳衛さんは、眼を伏せて、いやいやした。
 キャラコさんは、からかうような眼つきで、みなの顔を見廻しながら、
「おやおや、すっかり優《やさ》しくなってしまったのね」
 チビの鮎子さんが元気な声で、やっつけた。
「ええ、そうなの。あたしたち、そのひとに逢うと、急に胸がドキドキして、すべって転んじゃうのよ。芳衛さんも梓さんも転んだわよ。ピロちゃんなんか、お辞儀をしそこなって前へつんのめっちゃったんだア」
 うっとりするようなその上品な紳士は、丸池のそばの志賀高原ホテルに泊っていて、あまり人の来ない木戸池やモングチ沢のスロープで、静寂な雪山をひとりで楽しんでいるのらしかった。
 六人がその紳士に逢ったのは、天狗岩の一本松の下だった。たいへんにスマートな身なりをしたその紳士は、南側のスロープをみごとなスノウ・プルウで降りて来て、六人に丁寧に目礼してすべり去った。
 あまり美しく、あまり上品なようすなので、みなうっとりしてしまった。夢からさめると、詩人の芳衛さんが、その紳士に、『チャーミング・プリンス』と名をつけた。みな、心からこの命名に賛成した。
 その紳士は、午後になると、きまって志賀ヒュッテの方へ出かけてゆくことがわかったので、そうそうに昼飯をすませると、みな胸をワクワクさせながら見物に出かけるのが毎日の仕事になった。うまく紳士に出っくわして、目礼されたり、短い挨拶をされたりすると、あわてふためいて、すべったり転んだりして大騒ぎになる。そして、夜になると、『ロッキーに春がくれば』を合唱しては、涙ぐむのだった。
 ところで、今日、そのうっとりするような紳士をこの山小屋
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング