あるが、お父さまはたいへん濶達《かったつ》な方だし、兄弟もみな率直ないいひとたちばかりなので、その影響で、どんなちいさなことでも、自分ひとりでこそこそやったり、隠しだてしたりしない、さっぱりした気性を持っている。
 器量よしで、たいそう色が白く、いつも夢を見ているような大きな眼は、何かに夢中になると急に熱ぽくなり、何か自分の思い通りしたいようなときは、思いがけない大胆な眼つきに変る。いつも、きちんと衿《えり》の詰まった、プロシアン・カラーの趣味のいい単純な服を着ている。これが、必要以上に梓さんを真面目くさくも見せ、また、あどけなくも見せる。

 山小屋《ヒュッテ》は、広い料理場と乾燥室のついた、二階建のがっちりした建物で、大きな広間の天井には煤色の栂《とが》の太い梁《はり》がむきだしになっている。天井まで届くような大きな煖炉《オーフェン》の中で、白樺や落葉松《からまつ》の太い薪《まき》が威勢よくはじけ、鉄架の上で珈琲沸《パーコレーター》がいつも白い湯気をふきあげている。
 四時ごろキャラコさんが山小屋《ヒュッテ》につくと、一同は、煖炉《オーフェン》の前の床に胡坐《あぐら》をかき、シトロンの大きなコップを順繰りに廻して「乾杯」をしながら、でたらめな歌をうたって騒いでいた。ベスという大きなシェパードが、一緒になってワンワン吠えながら広間の中を走り廻っていた。
 キャラコさんがやって来たのを見ると、みなうれしがって、もう一遍、もういっぺんと、いくども乾杯して、苦しがってゲエゲエと咽喉《のど》を鳴らした。
 二階へあがってみると、四つの寝室はまるで戦場のようなありさまだった。カアテンはひきむしられ、椅子は倒れ、スーツ・ケースはみなひっくりかえされて、下着や、靴下や、ペテーや、その他、使途不明なさまざまなものがところかまわず撒《ま》きちらされ、花瓶の中には上靴が突っ込んであるし、水差しの中には喰べかけのチョコレートとハーモニカと歯ブラシが同居している。
 キャラコさんは外套をぬぐ間もなく、女中のときやに手伝ってもらって四つの寝台をキチンと片附け、鞄のものはそれぞれもとのところへおさめ、戸棚を整理したり、カアテンをつり直したり、たっぷり夕食ごろまでかかってしまった。
 食事の時間はまた革命と暴動がいっしょに起きたような騒ぎだった。みなペコペコにお腹をすかし、めいめい、わけのわからないことをわめきたてながら海賊のように食卓に飛びつくと、箸がくるのを待ちかねて、紅茶の匙《さじ》でご飯をすくったり、肉の掛汁《ドレッシング》を舌でなめたりした。
 森川氏は有名な美食家なので、酒棚《さかだな》にはムールソオやバルザックやクレクスなんていういろいろな葡萄酒が並べられてある。
 食事がすむと、梓さんの提議で、キャラコさんの歓迎の意を表するため、本式に乾杯することになった。梓さんは触れれば消えてしまうかと思われるような薄いヴェネチャの洋盃《コップ》を持ち出して来てひとりひとりの手に持たせ、もったいぶったようすで紅玉《ルビイ》のようなシャトオ・ディケムを注いで廻る。そのうしろから、キャラコさんが水瓶《フラスコ》を持って、みなの葡萄酒を、ほんのり薔薇色か、ひょっとすると、曙《あけぼの》の色くらいに薄めてあるく。
 チビの鮎子さんが、音頭《おんど》をとることになって元気よく立ちあがったが、なんというのだったか忘れてしまった。鮎子さんは仏蘭西《フランス》語でやっつけたいのである。それで、となりのピロちゃんにたずねる。
「なんて、いうんだっけ!」
「ア・ラ・ヴォートル!」
「たった、それだけ?」
「あたりまえだア」
「じゃ、ね、ア・ラ・ヴォートル! ……われらの監督さんの安着を祝し、キャラコさんをわれわれのもとへ派遣した長六閣下の寛大なるご処置に感謝いたしまァす」
 ア・ラ・ヴォートル! といいながらひと息に飲みほして、だれもみな、あまり美味《うま》くもないような顔をした。
 画の上手なトクさんが、
「渋いや」
 といって、てれくさそうに舌を出した。
「水臭いだけだ」
 と、梓さんがやりかえした。おしゃまのユキ坊やが、
「でも、蓬《よもぎ》の匂いがするよ」
 というと、詩人の芳衛さんが、
「あら、菫《すみれ》の匂いよ」
 と、抗議した。それから、めいめいいろんな匂いを持ち出して金切り声で主張し合った。
 キャラコさんも、だんだん愉快になって来て、みなと頭をくっつけ合わせて、笑ったりしゃべったりした。
 窓のそとの大きな星を眺めながら、ピロちゃんのハーモニカに合わせて合唱をした。
『ロッキーに春がくれば』という歌が気に入って、いくどもいくどもくりかえして唄った。そして、みな、涙ぐんだ。
 間もなく、眠くなった。
 煖炉《オーフェン》のそばでごろ寝したがるのをお尻をた
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