たが、結婚しようといったのね」
「いいえ、最初はあの方がおっしゃったのよ。お互いに、こんなに好きになった以上、結婚するのが本当だって。……あたしが結婚してあげなければ、あの方は死んでしまうかも知れないわ。……もういちどお目にかかれるでしょうね。もし、もうこれでお目にかかれないんなら、私は、たぶん、もう生きていません、って」
梓さんは、ちょっと言葉を切ると、急に眼にいっぱい涙をためて、ほとばしるような声で叫んだ。
「あたしだってそうよ。ママ、あたしだって、そうなの!」
森川夫人は弱りきった心をおしかくそうとするように、すこしきつい口調になって、
「あたし、あまりあなたを甘やかしすぎたようね。あなたはまだやっと十八になったばかりなのよ。それに、その方はあなたより二十も二十五も年上の方なのでしょう。もう、およしなさいね、そんなお話は……。ママも聞かなかったことにしますから」
「お願いです、ママ!」
「いいえ。……ママはその願いをきいてあげることはできませんが、あなたをほんとうに幸福にすることは知っているつもりです。どうか、ママのいうことをきいて、ちょうだい」
「ママの考えていらっしゃる幸福が、そのままあたしの幸福になると考えていらっしゃるならそれはあまりママの勝手です。……ママの考えている幸福でなく、あたしが本当にしあわせになれるようにして、ちょうだい」
「ともかく、その話は、もうよしましょうね。あまり、馬鹿げているから」
梓さんは、みるみる真っ青な顔になって、
「ママ、それじゃ、あたし、死んでもいい?」
と、痙攣《ひきつ》ったように叫ぶと、キャラコさんのほうへ両手を差し出しながら、
「たすけて、ね。……たすけて、ちょうだい」
キャラコさんは梓さんのそばへ駆け寄って、やさしくその手をとりながら、
「どうしたの、梓さん」
梓さんは、錯乱したようにキャラコさんの手をにぎりしめて、
「キャラコさん、あたしを、死なせないで!」
そして、寝台の上に突っぷすと、今にも絶えいるかと思うばかりに劇《はげ》しく泣き出した。
このあわれなようすを見ると、森川夫人は我慢も耐《こら》え性《しょう》もなくなったように梓さんのそばに走り寄って、腕の中に抱きとり、
「梓《あっ》ちゃん、ママがきっといいようにしてあげますから、そんなに泣かないで、ちょうだい。あなたをこんなふうにしたのは、あまり甘やかしすぎたママの罪なのよ。……ママを撲《ぶ》ってちょうだい。……ママを撲《ぶ》ってちょうだい」
と、いいながら、頑是《がんぜ》ない子供のように泣き出した。
それから間もなく、キャラコさんがホテルへチャーミングさんを迎いに行った。
森川夫人は、広間の煖炉のそばで梓さんの愛人がやってくるのを待っていたが、おいおい、気が落着くにつれ、いま自分の娘に襲いかかっている危険がどんなひどいものか、だんだんはっきりして来た。
梓の話をいろいろ思い合わせると、感じやすい少女の心につけこむその男の、抜け目のない慇懃なやり方が、何もかもすっかりわかるような気がする。どう考えても、下劣な|女蕩し《セジュクトウル》のやり口だとしか思われない。もし、そうだったら、どんなことがあっても手をひかせなくてはならないと決心した。
一時間ほどすると、チャーミングさんが山小屋《ヒュッテ》へやって来た。顔色はいつもより蒼《あお》くなり、眼つきはいっそう沈んで、ひどい不幸にあったひとのようなようすをしていた。
キャラコさんの案内で広間へ入って来たチャーミングさんをひと眼見ると、森川夫人はたちまち蝋《ろう》のように真っ白くなり、よろめくように椅子から立ちあがった。
五
チャーミングさんは、森川夫人の妹の房枝《ふさえ》さんが、外務参事官のお父さんと巴里《パリー》に住んでいたころの愛人だった。
チャーミングさんはそのころから画の勉強をしていて、二三の画商に才能を認められていたが、画かきというよりはむしろ詩人といったほうがいいような極端な夢想家で、仕事をするよりは寝ころんで夢を見ている時間のほうが多かった。ひどい|移り気《キャプリシュウ》で、何かにひどく熱中するかと思うと、すぐ飽きて、次の日になると瘧《おこり》でも落ちたように見向きもしなくなる。熱烈で慇懃で聡明で執拗で冷酷で、……要するに、生まれながらあらゆる悪魔的なものを身につけたような男だった。
房枝さんは、そのころ二十歳《はたち》になったばかりの心のやさしい娘だったが、わずか半年ほど楽しい日を味わっただけで、古い上靴のようにあっさりと捨てられてしまった。薄情な愛人の心をひきとめようとして、若い娘が考えつく限りのことをしたが、結局、つらい思いをしてあきらめるほかなかった。そして、その年の秋、胸を病《や》んで死んでしまった
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