キャラコさん
社交室
久生十蘭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)初島《はつしま》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)山田|和市《わいち》氏

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(例)※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]
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     一
 青い波のうねりに、初島《はつしま》がポッカリと浮んでいる。
 英国種の芝生が、絨氈《じゅうたん》を敷いたようにひろがって、そのうえに、暖い陽《ひ》ざしがさんさんとふりそそいでいる。
 一月だというのに桃葉珊瑚《ておきば》の緑が眼にしみるよう。椿の花が口紅《ルウジュ》のように赤い。
 正月も半ばすぎなので、暮から三《さん》ガ日《にち》へかけたほどの混雑はないが、それでも、この川奈《かわな》の国際観光ホテルには、ここを冬の社交場にする贅沢《ぜいたく》なひとたちが二十人ほど、ゴルフをしたり、ダンスをしたり、しごくのん気に暮らしている。
 時節柄、外国人の顔はあまり見えず、三階の南側のバルコンのついた部屋に母娘《おやこ》のフランス人がひと組だけ滞在している。
 巴里《パリ》の有名な貿易商、山田|和市《わいち》氏の夫人と令嬢で、どちらも相当に日本語《にっぽんご》を話す。
 夫人はジャンヌさん、娘はイヴォンヌさんといって、今年《ことし》十七歳になる。朝露《あさつゆ》をうけた白薔薇といった感じで、剛子《つよこ》はたいへんこのお嬢さんが好きだ。
 もしや、露台の揺り椅子にでも出ていはしまいかと、そのほうを見あげたが、窓には薄地のカアテンがすんなりとたれさがっているばかりで、そのひとのすがたは見えない。
 めったに社交室へも顔を出さずに、いつも母娘二人だけで楽しそうに話しあっている。なんて淑《しと》やかに暮らしているんだろうとおもって、うらやましくなる。
 それにひきかえて、『社交室』の連中は、いったい、どうしたというのだろう。
 ゴルフの話、競馬の話、流行の話、映画の話、……浜の砂《いさご》と話題はつきないが、なにより好きなのは他人《ひと》のあらさがしで、よく飽きないものだと思われるほど、男も女もひがなまいにち人の噂ばかりして暮らしている。
 このホテルに泊っているひとびとの噂や品評がおもで、社交室にい合わせないひとたちが片っ端から槍玉にあげられる。誰れかちょっと座を立ってゆくと、すぐそのひとの品評にうつり、今までひとの噂をしていたそのひとが、こんどはさんざんにやっつけられる。まるで、このホテルのほかに世界がないように、互いに鵜《う》の目|鷹《たか》の目で他人を見張っている。
 巧妙なあてこすりもあれば、洗練された皮肉もある。ちょっと聞くと、たいへん褒《ほ》めているようで、そのじつ、ちゃんと毒のある中傷になっているのだから油断も隙もあったものじゃない。この連中にかかったら、どんなに隠しておきたいことでも、遠慮|会釈《えしゃく》なくあかるみへひき出され、なん倍かに引きのばされ、拡声機にかけてホテルの隅々《すみずみ》にまで吹聴されてしまう。
 剛子がこのホテルへきてから、今日でちょうど半月になる。こんな贅沢なホテルでぶらぶらしていられる身分でもなければ、また、たいして好きでもない。叔母の沼間《ぬま》夫人がしつこくすすめるのでしょうことなしにやってきた。
 だいいち、それが妙でしょうがない。日ごろは、こんな親切な叔母ではないのである。むしろ、意地悪だといった方が早いだろう。それも相当渋いもので、眼にたつ意地悪をするのではない。思いもかけぬようなところでピリッと辛いのである。こういう複雑なやりかたもあるものかと、そのつど、剛子はあっけにとられる。
 なにしろ、打算にたけた叔母のことだから、どうせ、なにか相当の理由がなくてはならぬはずだ。なかなか、二人の娘のひきたて役ぐらいのところではなかろうとおもわれる。
 考えてもわかりそうもないことだし、生れつき屈託のないたちだから、あまり深いせんさくはしないことにしている。なにか自分の信念に反するようなことでもおしつけられたら、その時はそれに相当した態度をとればいい。つつましくは暮らしてきたが、そういう場合にとるべき態度だけはちゃんと教えられている。

 剛子は、もう一時間もこうしてひとりでサン・ルームの竜舌蘭《りゅうぜつらん》のそばにかけている。
 ここへはだれもやってこないし、窓からは陽がさしこむし、居心地の悪いことはないのだが、どうにも退屈でやりきれなくなってきた。なにもしないでいるというのは、なんという厄介《やっかい》なことだろう。
 もっとも、これは今日に始まったことではない。ここへきてもう二日目にすっかり退屈してしまった。それで、暮からしかけになっていた編物をとりだしてせっせとやっていると、叔母が忍び足でやってきて、小さな声でしかりつけた。
「あんまり、みっともないことは、しないでちょうだい」
 編物をするのが、なぜみっともないのか剛子にはわからなかったが、素直に叔母の意見に服従した。しかし、どうにもてもちぶさたでしようがないので、図書室からメリメの『コロンバ』を持ちだし、主人公のネヴィール嬢に興味を感じて、すこし熱くなって夢中になって読んでいると、またいつの間にか叔母がうしろへきて、たいへん優雅なしかたで、剛子の手のなかから本をとりあげてしまった。
「どうして、あなたは、そう、こせこせするんでしょう。お嬢さまらしくおっとりしていることはできないの。育ちの悪いのを、あまり、ひとに見られないようにしてちょうだい。あたしたちに恥をかかせたくないと思ったら」
 剛子は、これにも素直にうなずいた。読書をするのがなぜお嬢さんらしくないんですか、などとききかえしはしなかった。たぶん、皮肉にきこえるだろうと思ったから……。相手が叔母でなくとも、こんなちいさなことで争う気にはなれないのである。
 叔母が図書室を出てゆくと、剛子は、ひくい声で自分にいってきかせた。
「ほんとに、あたし、お嬢さんでなくてよかったわ」
 剛子は立ちあがって窓から首をつきだす。樹墻《じゅしょう》を越えてその向うに、川奈ゴルフ・リンクのフェア・ウェイがひろびろとひらけ、ゴルファーが歩きまわっているが指のさきほどに小さく見える。剛子は田園嫌いではないが、どうも、これはすこし退屈な風景である。
 心《しん》そこから閉口して、ひとつ、伸びをすると、
「死にそうだわ」
 と、つぶやいた。
 のびのびと発育した、キッチリと肉のしまった五尺四寸の若々しい肉体が、クッキリと床のうえに影をおとす。胴はほっそりとしているとはいいがたいが、しかし、ミロのヴィーナスのあの健康な腰だ。灰色の単純なデザインのワンピースが、身体《からだ》にそっていかにも自然な線を描きながら垂れさがってる、顔はいつも艶々《つやつや》と光っていて、元気のいい子供のような新鮮な印象をあたえる。口が少し大きすぎる。その大きすぎる口をあいてよく笑う。とりわけそういうとき、剛子は単純で快活に見える。
 ところで、沼間夫人は、剛子が大口をあいて笑うのをあまり好いていない。
「笑うのは下等よ。もっとも、あなたのは特別だけど。……口をしめなさい奥歯が風邪をひく」
 剛子は、奥歯が風邪をひかぬように、あわてて掌で口をおさえる。
 剛子は退役陸軍少将石井長六閣下の末娘で、今年十九になる。しかし、笑ったり跳ねたりしているときは、十七ぐらいにしか見えない。
 剛子《つよこ》とは妙な名前だが、これは剛情の剛ではない。質実剛健の剛である。長六閣下は、これからの女性は男のいいなりになるようなヘナヘナではいかん。竹のようにしなやかで、かつ、剛健な意志をもたねばならぬという意見で、それで剛子と名づけた。剛子は父の望みを嘱《しょく》されているのである。
 剛子が自分の名をいうと、相手は、かならず聞き違えて、
「ああ、露子さんですか」
 という。すると、剛子は、
「つゆではありません、剛よ」
 と、丁寧に訂正する。父の希望のこもった大切《だいじ》な名を間違われるのはいやだからだ。つゆ子なんて名は、なにか病み細って、蒼い顔をしてうつむいている女の姿を連想させる。剛子はそんななよなよした女性は嫌いなのである。
 剛子には、もうひとつ、「キャラ子さん」という名前がある。
「キャラコ」のキャラは、白檀《びゃくだん》、沈香、伽羅《きゃら》の、あのキャラではない。キャラ子はキャラコ、金巾《かなきん》のキャラコのことである。
 剛子がキャラコの下着《シュミーズ》をきているのを従姉妹《いとこ》たちに発見され、それ以来、剛子はキャラ子さんと呼ばれるようになった。
 ある日、社交室の満座のなかで、槇子《まきこ》がキャラコの由来を披露したので、みなが腹をかかえて笑い、思いつきのいいのに感服した。
 すこし手ざわりの荒い、しゃちこばった、この貧乏な娘にいかにもふさわしい愛称だと思われたからである。それで、だれもかれもがこの愛称で剛子を呼ぶようになった。
 剛子はこういう愛称でよばれるのをかくべつ不服には思わない。キャラコの下着《シュミーズ》をきていることを別に恥だとかんがえないからである。垢《あか》じみた絹の下着《シュミーズ》をひきずりまわすよりは、サッパリとして、清潔なキャラコを着ている方がよっぽどましだと思っている。そして、これがまた父の意見でもあったのである。
 長六閣下は、いつも、こういう。
「絹ではいかんな。木綿のような女でなくてはいかん」
 剛子の一家は、父の光栄ある恩給だけでたいへんつつましく暮らしているが、剛子がキャラコの下着《シュミーズ》をきているのは、それには関係がなく、もっと深い感情のこもったことなのである。

     二
 槇子《まきこ》が、胸のうえに手を組みあわせ、グレース・ムーアのように気取りながら唄い終ると、
「おお、|美事です《シャルマン》!」
 と、感にたえたような声をあげたのが、越智《おち》氏である。
 越智男爵の三男で、このホテル中でだいいちの洒落《しゃれ》者といわれるだけあって、さすがにすきのない身ごしらえだ。生地はウーステッドのストライプもの。ラベルをロング・ターンにし、よくこれで息ができると思われるくらい胴をしぼってあるので、うしろから見ると、蜂のような腰つきに見える。
 三十を三つも越しているのに、なにをするでもなくのらくらとこんなところで日を送っている。もっとも、越智氏にとっては、これがだいじな仕事だともいえる。できるだけ社交界にしゃしゃり出て、金持の養子のくちにありつこうとしているのである。努力のかいあって、いままで二つ三つそういう口があったが、いつの間にかたち消えになってしまったのは、たぶん汚《きたな》い腹を見抜かれたか、財産の点で折れ合いがつかなかったからであろう。
 なんだかしら、最近目だって沼間氏の家族は愛想をよくする。『社交室』では、姉の方だろうか妹の方だろうかと、たいへん気をもんでいる。越智氏は姉娘の槇子の方にも妹娘の麻耶子《まやこ》の方にも等分に愛嬌をふりまくので、どうにも掴まえどころがないのである。
 だれもあいづちをうってくれないので、越智氏は間のびのした薄手な顔を隣りへふりむけて、
「じつにもって、たいした才能です」
 これでもか、というような大きな声でくりかえした。
 越智氏の隣りに坐っているのは猪股《いのまた》氏である。もうそろそろ初老の年輩だ。粋《シック》ではないが、このホテルの滞在客中でだいいちの金持である。この節、もっともあてた軍需工場の持主で、すくなくとも五六百万は動くまいという社交室の測定である。教養のない実業家のタイプにありがちな、粗野で、ずぶとそうな印象を与えるのは、あぐらをかいたような鼻と獅子噛《ししが》んだ厚い唇からくるので、内実は、臆病なほど気が優しいのだと取沙汰《とりざた》されている。
 猪股氏は、不意をつかれてヘドモドしていたが、つぶやく
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