求婚にたいして、あなた、貧乏だから、いや、と、にべもない返事をしたのは、決して本心ではなかったのだ。何もかもあきらめて、進んで自分を『糶《オークション》』に出したのにちがいない。
 自分本意で、骨の髄まで浅薄な娘だとばかり思っていた槇子の胸に、こんなしおらしいたましいがひそんでいたということは、キャラコさんにとっては意外だった。意地っぱりで、一旦こうと決心したら容易《たやす》く自己を表わさない冷静な槇子が、自分の心をのぞかれるようなあんな狂態を演じたのを見ても、槇子がどんなに苦しんでいたかよくわかる。それを察してあげることができなかったのは、やはり、じぶんが未熟だからに相違ない。キャラコさんは、心のうちで詫びた。
「マキちゃん、ゆるして、ちょうだい」
 それにしても、秋作氏は槇子のこの美しい心根《こころね》を知っているかしら。

 夜の十時ごろになって、秋作さんが飛んで来た。
 槇子が溺れかけたことより、自分の部屋の扉《ドア》の下にすべり込ませてあったものを見て、驚いて飛んで来たのである。それは、西洋封筒に入れた一枚の紅葉《もみじ》で、封筒の表にはきれいな字で日附が書いてあった。秋作氏
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