。それ以来、すこしも評判を聞かぬようになったが、欧羅巴《ヨーロッパ》で生きていることだけはたしかだった。時々、自分の名で思い切った寄附をするのでね。……これは意外だ! ジョージ・ヤマが伊豆にいるとは!」
七
キャラコさんは、つぎの朝まで槇子の枕元を離れなかった。
虚栄と冷淡と利己心のかたまりのような沼間夫人も、この出来事にはさすがにたましいをひっくりかえされたと見え、甲斐がいしく槇子の汗を拭いてやったり、布団の裾をおさえたり、よのつねの母らしいそぶりをみせるのだった。
麻耶子は高い窓枠に腰をかけ、心配そうに唇をへの字に曲げながら足をブランブランさせていた。今日ばかりは、さすがに意地悪をしなかった。
沼間夫人がなにかいいつけると、
「ハイ」
と、兵隊のような返事をして駆け出すのだった。
槇子はおどろくほど沢山水を飲み、そのうえ、冷たい水の中に長い間つかっていたので、岸にあげられた時はもう瀕死の状態だった。『恋人』の行きつくのがもう十分もおそかったら、槇子はもうこの世のものではなかったろうということは、誰の眼にも明らかだった。
漁船の中ですばやく水を吐かせた『恋人
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