しすぎる面ざしをした、ひ弱い青年が、胸から血をだして死んでいく光景を見るのは、ありがたいというようなことではない。
 サト子は、籐椅子から立ちあがると、なにげないふうに青年のそばへ行って坐った。
「あなたは相当な人物なのね、見かけはやさしそうだけど……」
「……」
「この春から、ずいぶん、かせいだらしいわ」
 青年は、はげしい否定の身ぶりをした。
「それは、ぼくじゃありません」
「でも、久慈という家へはいりこんだのは、あなたなんでしょう」
 青年は、うなずくと、低く首を垂れた。
 バカげたようすをするので、腹をたてて、サト子が叱りつけた。
「向うで見ている……顔をあげなさい」
 青年は顔をあげると、涙に濡れた大きな目で、サト子の顔を見返した。
「つかまったら、空巣にはいったというつもりでした……でも、ほんとうに、ぼくは空巣じゃないんです」
「そんなら、あのひとたちにそう言うといいわ。悪いことをしたのでなかったら、恐がらなくともいいでしょう?」
「ぼくがそう言うと、あのひとたちは、では、なにをしにはいったと聞くでしょう……ぼくには、それが言えないんです。それを言うくらいなら、死んだほうがましです」
「そんな声をだすと、あたしが同情するだろうと思うなら、見当ちがいよ。あなたを庇《かば》ってあげる義理なんか、ないんだから」
「でも、さっき……」
「約束だから、朝からここにいたと言ってあげますが、それ以上のことは、ごめんだわ」
「ぼくが、なにをしにあの家へはいったか、知ってくだすったら……」
「もう結構。じぶんでしたことは、じぶんで始末をつけるものよ」
 青年は、海の見えるほうへ顔をそむけながら、
「ぼくは、もう死ぬほかはない」
 と、つぶやくように、言った。
 打合せがすんだのだとみえて、三人の警官が、まっすぐに濡縁のほうへやってきた。
「すみません、水を、いっぱい……」
 もう一人の警官が、言った。
「ついでに、私にも……失礼して、ここへ掛けさせていただくべえ」
 しゃくったような言いかたが、サト子の癇《かん》にさわった。
「お水なら、井戸へ行って、自由にお飲みになっていいのよ」
「はァ、すみません」
 一人が濡縁に腰をおろすと、あとの二人も、狭いところへ押しあって掛けた。
「お嬢さん、失礼ですが、あなたは由良さんの……」
「由良は叔母です。あたし留守居よ」
 若い警官は、青年の居るほうを顎でしゃくりながら、間をおかずに切りこんできた。
「それで、こちらの方は?」
 サト子は、鼻にかかった声で、はぐらかしにかかった。
「そんなことまで、言わなくっちゃ、いけないんですの?」
 警官は苦笑しながら、うなずいた。
「つまり、ボーイ・フレンドってわけですか」
 そうだと言えば、あとでむずかしいことになる。サト子は、あいまいに笑ってみせた。
 青年が、すらりと座から立った。
「水なら、ぼくが汲んできてあげましょう」
 口笛を吹きながら、勝手のほうへ行ったが、なかなか帰って来ない。
 そのうちに、中年の私服の額に、暗い稲妻のようなものが走った。
 はじまったと思うより早く、三人の警官は一斉に立ちあがって、木戸口から前庭のほうへ走りだした。
 まっさきに崖端《がけはな》へ行きついた警官が、海のほうを見ながら叫んだ。
「あんなところを泳いでいる」
「やァ、飛んだか」
 そんなことを言いながら、海につづく石段を、ひとかたまりになってドタドタと降りて行った。
 サト子は、つられて庭の端まで出てみた。
 むこうの海……砲台下の澗《ま》になったところを、苦しみながら、青年が泳いでいる。
「おうい、小坪まで泳ぐ気かよ」
「死ぬぞ、ひきかえせ」
 青年は、こちらへ顔をむけかえたが、もう帰ってくることはできなかった。いそがしく浮き沈みし、二三度、手で水を叩いたと思うと、あっ気なく海のなかへ沈みこんでしまった。
 岩端の波のうちかえすところに、青年の灰色のポロ・シャツが、大きなクラゲのようになって浮いていた。
「空巣ぐらいで、死ぬことはなかろうに」
 中年の私服は、沈んだ顔つきで、海からポロ・シャツをひきあげた。
「バカな野郎だ」

  月の光で

 サト子が、石段を駆けおりて、磯の波うちぎわへ行くと、中年の刑事が、苦々しい口調でつぶやいた。
「かわいそうなことをした」
 サト子は、カッとなって、私服の前へ行った。
「あたしが殺したとでも、言ってるみたい」
「あなたが、どうだと言ってるんじゃない。あのとき、われわれに協力してくれたら、殺さなくとも、すんでいたろう、ということです」
 若いほうの警官が、サト子を睨みつけながら、憎らしそうに言った。
「空巣だけなら、十犯かさねたって、死刑になることはないからな」
「だから、そう言ったでしょう。灰色のポロ・シャツを着たチンピラなら、ここにもひとり居るって……あなたたち、相手にもしなかったじゃ、ありませんか」
 もう一人の警官が息巻いた。
「だいたい君は、ひとをバカにしているよ」
 サト子は、笑いながら、言った。
「あなた、なにを怒っているんです?」
「空巣を庇うなんてことが、あるか、てんだ」
「失礼ですけど、庇ったりしたおぼえはないわ」
「あの男は、生垣を乗りこえてはいって来た。君は怪しいとも思わなかったのか」
「そこのところが、ちょっと、ちがうの。あのひとは垣根を乗りこえたりしませんでした。おはいりなさいって誘ったのは、あたしだったのよ」
「なんのために?」
「おとなりの方だと思ったからよ。おかしなことなんか、なにもないでしょ?」
 若い警官は横をむいて、聞えよがしにつぶやいた。
「これはまア、おっそろしく気の強いお嬢さんだ」
 サト子は負けずに、やりかえした。
「そうだと思って、ちょうだい」
 中年の刑事は、なだめるように言った。
「なにかにとおっしゃるが、正直なところ、いくらかはあの男を庇う気があったんだね? この方はとたずねたら、あなたは返事をしなかった」
「ボーイ・フレンドだろうなんて、失礼なことを言ったでしょう。たれが、返事なんか、するもんですか」
「つまり、そこです……あのとき、否《いや》とかノオとか、言ってくれたら、すぐ、ひっつかまえていた。あなたが庇いたてをしたばかりに、殺さなくともいい人間を殺してしまった……むざんな話だとは、思いませんか」
 サト子は、うなずいた。
「思いますとも……あたし泣いているのよ、心のなかで」
「あなたは、高慢なひとだ」
「ひっぱたきたい?」
 中年の私服は、あわれむようにサト子の顔を見返した。
「あなたをひっぱたいたって、どうなるものでもない、すんでしまったことだから……いや、どうも、おさわがせしました」
 おさまりかねるものがある。胸のどこかが、ひっ千切れるように痛む。サト子は、依怙地《いこじ》になって、みなのそばに立っていた。
「お手伝いしましょうか。これでも、泳ぎは上手なほうよ」
 たれも相手になってくれない。
 警官たちは、澗《ま》の海をながめながら、舟をだす相談をしている。サト子は石段をあがって、スゴスゴと芝生の庭にもどった。
 風が落ち、蒸しあげるような夕凪《ゆうなぎ》になった。
 汗ばんだ裸の脛《すね》に、スカートがベッタリと貼りつく。
 夕日が流す朱の色で、空も、海も、燃えあがるように赤く染まっていたが、葉山のあたりの空が、だんだん透きとおった水色にかわり、そこから、のっと大きな月が出た。
 漁船をだし、底引の錨繩《いかりなわ》で海の底をさぐりはじめてから、もう三時間以上になる。
 庭端の芝生に膝を抱いてすわり、海の底をさぐりながら、澗のなかを行きつ戻りつしている漁船を、身を切られるような思いで、サト子は、ながめていた。
 この庭端に影のようにうずくまっているのを知りながら、舳《へさき》に立って潮道を見ている中年の私服も、パンツひとつの警官も、サト子を無視することにきめたふうで、ふりむいて見ようともしない。
「バカめ、殺したのはお前なんだぞ」
 警官たちの冷淡な身振りのなかに、無言の叱責《しっせき》がこもっているのを、サト子は感じる。
「だから、あたしに、どうしろというの?」
 サト子は、やりきれなくなって、足をバタバタさせる。
 あの青年が海に飛びこんで、みなの見ているところで溺れて死んでしまうなどと、たれが予想したろう。
 漁夫も、警官も、漁舟も、月のしずくをあびて銀色に光っている。
「こんな澗のうちを、ひっかきまわしたってよウ、死体なんざ、あがりっこ、あるかよ」
 漁師たちは、はじめから嫌気なふうだったが、暮れおちると、ダレて投げだしにかかった。
 澗のうちを洗って、滑川《なめりかわ》の近くから外海《そとうみ》へ出て行く早い潮の流れがある。二日もすれば、片瀬か江ノ島の沖へ浮きあがるはずだから、そっちを捜すほうが早道だとそんなことを言っている。
「ホトケサマが沈んでござるなら、これだけやれァ、とっくにカカっているはずだ」
 それは、サト子の言いたいことでもあった。
 澗のむこうの岩鼻、旧砲台の砲門から十尺ほど下った水ぎわに、磯波がえぐった海の洞《ほら》が口をあけている。
 土地っ子と組になって、この澗で泳いでいたころ、日があがって水がぬるむと、洞の口からもぐりこんで、奥へはいって涼んだものだった。
 崖の上で見ていると、波の下に沈んだ青年のからだが、青白い線をひいて、洞門へ吸いつけられていったようだったが、磯の低いところにいた警官たちには、見えなかったのかも知れない。
「いまになっても、あがらないところをみると、あのひとは、たぶん、洞の奥へ隠れこんだのだ」
 そう思った瞬間から、サト子の立場は、いっそう辛《つら》いものになった。
 漁師たちが錨繩をひきあげようとすると、潮道を見ていた私服が、
「じゃ、おれがやってみる」
 と、上着をぬいで、じぶんでやりだした。
 月の光のなかでは、人間も、自然も、やさしげに見えるのだろうか。庭先で、あんなエグイ顔をしていた警官たちは、忍耐強い父親のような思いの深いようすになり、是が非でもチンピラの死体をひきあげようと、なりふりかまわず、うちこんでいる。
 サト子は、得態の知れない感動で胸をしめつけられ、
「あのひとは、そこの洞のなかにいます」
 と、いくども叫びだしそうになった。
 むだな骨折りをしている警官たちが、気の毒でならない。いまとなっては、空巣なんかに同情する気は、みじんもないが、といって、そこまでのことは、しかねた。
「見ちゃ、いられない」
 サト子は、芝生から立ちあがると、身を隠そうとでもするように、家のなかに駆けこんだ。
 サト子は、でたらめな鼻唄をうたいながら、行きどころのないタマシイのように家のなかを彷徨《さまよ》い歩いていたが、どの部屋へ行っても、集魚灯をつけた底引の漁船が、目の下に見える。崖端へ走りだして、大きな声で叫びだしそうで、不安でたまらない。
 姿見の前でスカートのヒップのあたりをひと撫でし、戸締りをして家をとびだすと、光明寺のバス停留所のほうへ、歩いて行った。
 あふれるような月の光。山門の甍《いらか》に露がおり、海の面《も》のようにかがやいている。
 バスが来た。バスはここで折返して、駅のほうへ帰る。
 車がまわってくるのを待っていると、ホワイト・シャツに、きちんとネクタイをつけた身なりのいい中年の紳士がバスから降りて海岸へ行きかけた足をかえして、ゆっくりとサト子のそばへやってきた。
「ちょっと、おたずねします。久慈さんというお宅、ごぞんじないでしょうか。このへんだと、聞いてきたのですが、材木座は広いので」
 久慈……きょう空巣のはいった家は、たしか久慈と言っていたようだ。
「どういう、ご用なんでしょう」
 久慈とこの紳士は、どういう関係なんだろうと考えているうちに、みょうなことを言ってしまった。
 そのひとは気にもしないふうで、
「家のものが、昼間からお邪魔しているはずなんですが、月がいいから、呼びだして散歩でもしようと思って」
 そう言うと、月を仰いで、
「蒸し
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