かしくなるよ」
 サト子は腹をたてて、やりかえした。
「それほど、バカではないつもりよ」
「愛一郎のとなりにいた女性は、新兵器の売込みをしたり、日本のウラニウム鉱山の調査をしたりしている、パーマーというドイツ人の秘書だが、あなた、ご昵懇《じっこん》なんですか」
 ウラニウムの話が出たのは、きょう、これで二度目だ。サト子は、ぼんやりと、こたえた。
「知っているけど、昵懇というほどでもないの」
「今夜は、あなたの言うことを、信用しておきましょう」
 中村は、おやすみと挨拶して、いま、車がうねり下ったばかりの道を、ひとりでポクポク降りて行った。

  暗い谷間

 西側へ、翼のように張りだしたところに、客間の明るい灯が見える。午後、カオルとふたりではいりこんだ、亡くなった秋川夫人の部屋の窓々が、斜め上のあたりに、薄月の光をうけて、ほの白く光っている。
 中村との話合いは、思いのほか軽くすんだが、秋川の待っている客間へ、すぐ戻って行く気にはなれなかった。
 貧乏の鋭いキッサキと、毎日、火花を散らして、わたりあって行かなければならない、切羽詰った目で見ると、秋川の生活は、のどかすぎて間がぬけてい
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