たに可笑《おかし》みを感じたのか、中村は、よく響く声で、ははは、と笑った。
「あっさり返事をしてくれたので、話がしやすくなった」
 いままでの、いかつい調子がなくなり、からだのこなしが、やさしくなった。中村が葎《むぐら》をおしまげて腰をおろすと、サト子は、あわてて、そのそばへ、しゃがみこんだ。
「ねえ、聞いて、ちょうだい……あたし、あなたに、申訳ないことをしたと思っているのよ」
 われともなく、サト子は中村の腕に手をかけた。罪のおそれ、というのではない。是が非でも愛一郎の死体をあげようと、ひとり漁船に残って、夜ふけまで錨繩《いかりなわ》をひいていた、真実あふるるごとき所為を思うと、じぶんのしたことなどは、薄っぺらで、目もあてられないような気持がしてきたので、きょうまでのことを、のこらず中村に話した。
「それで、そのとき?」
「洞の奥へはいったとき、愛一郎は、いなかったのよ。それは真実なの」
 月に向かっているせいで、みょうに白っぽく見える中村の顔が、親しみのある微笑をうかべた。
「ここは法廷じゃないから、真実などという、むずかしい言葉をつかわなくとも、結構ですよ」
「きょう、偶然、あの
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