あげて、気のすすまないあなたを、むりやりここへお誘いした……女のひとに、そんな素振りをするなんて、母が亡くなってから、ただのいちどもなかったことなんです」
 誤解というにしても、あんまりくだらなすぎる。サト子は、思わず、くすっと笑った。
「その話は、よしましょう」
「ぼくのような子供が、こんなことを言うのは、さぞ、おかしいでしょう。でも、父のために、このことだけは、お話ししておかなくてはならない……このごろになって、ぼくにも、やっとわかりかけてきましたが、父自身は、こんなにまで、じぶんを枯らしてしまうつもりはなかった。ああ見えても、たいへんな寂しがり屋ですから、再婚したい気はあったのでしょうが、きょうまで、ぼくが、極力、邪魔をしていたんです」
「それは、なぜ?」
「亡くなった母を、ぼくは、生きていたときとおなじように愛していますが、父も、そうあるべきだと思って、ほかの女のひとに気を散らすようなことは、絶対にゆるさなかった……ところで、きょう、父の目の色を見て、きょうまで、ぼくが、どんなに父を苦しめていたかということを、つくづく、さとりました」
 愛一郎には、つらいようなことも、冷淡なこ
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