おいた。
「どうしたのよ、カオルさん……ねえ、どうしたの」
 カオルは頭をあげると、心の芯《しん》が抜けたような顔でニヤリと笑った。
「……あたし、長いあいだ秋川の細君の亡霊と格闘していたのよ……この家へ来るのは、そいつと喧嘩するためだったの。七年も八年も、死んだひとのことばかり思いつめているなんて、なんのことでしょう? 生きて動く女が、ここにひとりいるのに、秋川ったら、振り返って見ようともしないのよ……細君が死ぬまで貞潔だったと信じこんでいることも、あたしには面白くないの……北鎌倉や扇ヶ谷のひとたちだって、神月の別荘へやってきたことがあるんだから」
 愛一郎が、ただの空巣でなかったことは、サト子にもわかっていた。愛一郎が久慈という家の留守にはいりこんだのは、神月か、愛一郎の死んだ母に関係のあることではなかったのか。
「飯島の久慈さんっていう家、ごぞんじ?」
「久慈って、神月の別荘のあとへはいったひとでしょう。それが、どうしたというの?」
 深入りしそうになったので、サト子は、あわててハグラかしにかかった。
「それにしても、古い話だわねえ……神月さん、いま、なにをしていらっしゃるのかし
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