は、貞潔のマリアなの……部屋を死んだときのままにしておいて、親子でときどきやってきて、追憶にふけるというわけ……聖家族のイミテーションよ。古めかしくて、鼻もちならないわ」
棚のケースからヴァイオリンをだして、
「これも、お遺品《かたみ》のひとつなの……ヴァイオリンなんか、さわる気にもなれないけど、おこらせるために、わざと弾《ひ》いてやるの……見ていらっしゃい。愛一郎、また飛んでくるわ」
そう言うと、弾きだす前のポーズをとりながら、サト子のほうへ振り返った。
「この曲、知っている? エリク・サティ……音楽の伝統と形式をコナゴナにした、偉大なふたりのキチガイのうちのひとり……」
カオルは、はだしで部屋のなかを歩きまわりながら、リズムも音節も無視した無形式の楽句を、ぞっとするようないい音色で弾きだした。
しばらくは、弾くことだけに熱中していたが、そのうちに、気が変ったらしく、勝手に調子をかえたり、楽節を飛ばしたり、おしまいのほうをめちゃめちゃにして、投げるようにヴァイオリンをおくと、うつ伏せにベッドに倒れて、それっきり動かなくなった。
サト子は不安になって、カオルの背に、そっと手を
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