ようなヴァイオリンの音をきいた。
荒々しいまわりの風景をおししずめるように、なにかの曲のひと節を、高く、清く、ひき終ると、それで、消えるようにヴァイオリンの音がやんだ。
愛一郎は、二階の窓のほうを見あげながら、沈んだ顔で父に言った。
「カオルさんが、来ています」
「そうらしいね」
「あいつ、ママの部屋へはいりこんで、ママのヴァイオリンをいじっている」
秋川は、たしなめるように、言った。
「カオルさんのことなら、あいつ、なんていうのは、よしなさい。ママの墓参りに来てくれたひとのことを、悪くいうのは……」
「たれだろうと、ママの部屋へはいったり、ママの遺品《かたみ》にさわったりしちゃいけないんだ」
「なにを、おこっている?」
「パパが、言ったでしょう。あの部屋は、ママが生きていたときのままになっているんだから、家具を動かしたり、置きかえたりしては、いけないって」
「そんなことを言ったこともあるが、訂正してもいい……この家を、ママの生きていたときのままの状態にしておきたいなどというのは、高慢すぎるねがいだからね」
愛一郎は、不服そうに鼻を鳴らした。
「きょうのパパは、いつものパパとち
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