は、よして、ちょうだい」
思いあまったように、青年は顔に手をあてて泣きだした。
居るだけのひとが、一斉に、こちらへ振り返った。
なんという、みじめな真似をするんだろうと思って、サト子のほうが泣きたくなった。
耳に口をよせながら、サト子はささやいた。
「みっともないから、泣くのはやめなさい……あそこにいるのは、あなたのお父さんでしょう? 空巣にはいったことを、言わずにおいてくれというのね?……いいませんから、安心なさい」
父らしいひとが、おだやかな微笑をうかべながら、サト子のそばへやってきた。
「愛一郎の父です……あなたは、愛一郎のお友だちの方ですか」
あたしが、こいつのガール・フレンドのように見えるのだろうか。たいへんな誤解……笑いたくなる。
「あなた、お妹さんがおありでしょう? このあいだ、光明寺のバスの停留所で、よく似た方にお会いしましたが……」
愛一郎の父は、さりげなく胸のかくしからハンカチをぬきだし、後手づかいをしながら、泣いている息子に、そっと渡してやった。ほろりとするような情景だった。
サト子は感動して、はずんだ声で言った。
「あれは、あたしでしたのよ……あ
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