のような、みじめな感じはなかった。
「似ているけれど、ちがう顔だ」
父親らしいひとは、儀式ばった会合の帰りらしく、黒の上着に趣味のいい縞《しま》のズボンをはいている。どこかで見た顔だが、思いだせない。
ふたりのことは、それで、さらりと思い捨て、サト子は、また陶磁をながめだした。
「……」
陶碗のうえに人影がさし、声ならぬ声を聞いたと思った。
顔をあげてみると、息苦しいほどキチンと制服を着こんだ青年が、ケースをへだててサト子と向きあう位置にきていた。
「このあいだは……」
あのときの空巣の青年だった。
やはり、死んだのではなかった。月夜の海を泳いで、洞の奥へもぐりこんで行ったとき、呼びかけにもこたえず、落盤のむこうの砂場で、息を殺して隠れていたのだ。
「なんという、嫌なやつ」
この顔が芙蓉の花むらのうえにあらわれてから、海へ飛びこんで溺れて死ぬまでに、二十分とはかからなかった。ひとの命のはかなさに、名もしらぬ青年の不幸な最後に、枕が濡れしおれるほど泣いた。人殺し、という叫び声に追いまくられ、身も心も萎《な》えるほど悩みもした……その当のひとは、どこかの貴公子のような、とりす
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