もよこさないようになったので、この別荘はあいたままになっていた。戦争のあいだに、サト子の父と母が死に、なにかゴタゴタがあって離婚した叔母が、東京から移ってきて、自分の持家のような顔で居すわってしまった。
 サト子は、めくらのように両手を前に突きだし、戸口のあたりをよろけまわった。
「どこにいらっしゃるの?……暗くて、なにも見えないわ」
 ベッドのほうから、また声があった。
「大げさなことを言うのは、よしなさい。ここに、いるじゃないの」
「あッ、まだ寝ているのか……まだ御寝《ぎょし》なって、いらっしゃるんですか」
「温泉《ゆ》疲れがして、きょうは起きられそうもないわ」
 叔母は、いちめん、もの臭いところがあって、一週間に一度しか風呂をたてない。風呂ぎらいの叔母が、湯疲れのでるほど温泉につかったとは思えない。疲れというのは、なにか、ほかのことらしい。
「日除をあげてもいいでしょうか」
「よろしい……ついでに、あたしを起して、ちょうだい」
 ベッドのそばの日除をあげると、それで、大きな赤ん坊のように丸くふくらんだ、叔母の顔が見えるようになった。
「お起ししましょう」
 骨を折って叔母をひき起
前へ 次へ
全278ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング