むっとして、サト子の顔を見かえすと、吉右衛門は、失礼しますと言って帰って行った。
 女中が、奥さまがお呼びですと、言いにきた。


「おはよう、おばさま……お目ざめですか」
 日除が影をおとす、うす暗いところから返事があった。
「サト子なの?」
 右手の壁ぎわに、三面鏡や、電蓄や、レコードの箱や、雑多なものをかた寄せ、その反対側に、夜卓《やたく》とフロア・スタンドをひきつけ、いぜんお祖父さんのものだった、バカでかいベッドのうえで、叔母がむこう向きになって寝ていた。
 海沿いにあるこの別宅は、お祖父さんのものだった。
 飯島の崖の上にこの別荘を建てたよく年、すごい台風がきて、庭先まで波がうちあげ、お祖父さんは、びっくりして、ここにコンクリートの洋間の一郭をつくった。
 台風が来そうになると、海にむいた広縁の雨戸にスジカイを打って、ここへ逃げこむ。洋間の一郭と、母屋《おもや》の間にある木戸は、高潮が来たとき、裏の崖へ駆けあがるための逃げ口なのだ。
 サト子が、小さかったころには、まいとし、この別荘にきて、ながい夏の日を遊びくらしたものだが、その後、お祖父さんは、アメリカへ行ったきり、たより
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