いらざる庇《かば》いたてをしたばかりに、死なせなくともすんだひとを死なせてしまったという思いで、声もあげずにベッドのうえをころげまわっていたが、夜があけると海の見えないところへ逃げて行きたくなり、その日いちにち、谷戸《やと》から谷戸へ、さすらい歩いた。翌日からは、八幡宮の境内や美術館の池のそばで、ささやかなアルバイトをしながら日をくらし、おそくなってから家へ帰るようにしていた。
「あすは、東京へ帰ろう」
サト子は裏庭の濡縁に立ち、風に吹き散らされて、さびしくなった芙蓉の株をながめながらつぶやいた。
「叔母も帰ってきたし……そろそろ働きださなくては……」
東京では、秋のショウがはじまりかけ、そのほうの準備にかかっているはずなのに、サト子のところへは、誘いの電話ひとつかかって来ない。
サト子は、うらみがましい気持になって、ふむと鼻を鳴らした。
「あたしなんか、どうせ三流以下だけど」
ろくなアクセサリーひとつ、穿《は》きかえの靴すら満足に持っていない、『百合組』といわれている四流クラスだから、シーズンのはじめから、口などかかってこようはずもないが、東京を離れていることが、やはりいけ
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