流れだす。
洞の奥で、あの青年が、どんな思いでこのうたを聞くのだろう。
「いま行くわ」
急いで水着に着かえる。植込みの間を這《は》って、庭端から石段を降りると、ひっそりと海に身をしずめた。
水がぬるみ、海は眠っている。波が動きをとめたので、湖水《みずうみ》のように茫漠《ぼうばく》とひろがる月夜の海を、サト子は、のびたり縮んだりしながら、水音もたてずに洞のほうへ泳いで行った。
沖の漁船のほうを見る。あと味の悪いものが、心によどみ残ったが、それはもう問題ではなかった。
月が移り、岩鼻のおとす影で、洞の入口あたりが、ひときわ暗くなっている。奥のほうをのぞきこんでみたが、しらじらとした空明りの反射だけでは、なにひとつ、たしかに見さだめることはできなかった。
「ヤッホー……あたしよ、居たら、返事をして……」
うちあげる潮のかしらが洞の内壁にあたって、鼻息のような音をたてる。
返事がない。
狭い口をもぐって、十間ほど奥へ泳いで行く。
「ひとりでは、寂しいでしょう? 話しにきて、あげたのよ。夜明けまでは長いから……」
それにも、答えはなかった。
チムニーの背を擦《す》るような狭い
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