思い、ハンド・バッグにしまいこんだ小切手を出して、テーブルのうえに置いた。そうして、心の中でつぶやいた。
「これで、また文なしになった、がっかりだわ」
 神月は取るでもなく取らぬでもなく、小切手を指先でもてあそびながら、
「ここへ置いたって、返したことにはならない」
「その紙切れを、紙入れにしまいこめば、それでいいんだ。サト子さんをシアトルへ連れて行って、アメリカの鉱山法で、アチコチしようという企画は、見込みがないものと思ってくれ」
 神月は愛一郎に妙な目配せをしながら、
「愛さん、パパは病気らしいよ……早く帰って、おやすみになるように、言ってくれ」
 愛一郎は睫毛《まつげ》が頬に影をおとすほど深く目を伏せ、石のようにじっとしていたが、そのうちに手をのばして、そっと秋川の腕にさわった。
「パパ、帰りましょう。ぼくたち、お邪魔してるらしいから」
 秋川は、愛一郎の手をとると、小さな子供にでも言うような、やさしい口調でささやいた。
「いま帰ると、サト子さんがつまらない目にあう……知っているはずだね?」
「知っています」
「聞きたいのだが、なんのために神月君に気がねをしたり、恐れたりしなけれ
前へ 次へ
全278ページ中239ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
久生 十蘭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング