礼なことを言ったでしょう。たれが、返事なんか、するもんですか」
「つまり、そこです……あのとき、否《いや》とかノオとか、言ってくれたら、すぐ、ひっつかまえていた。あなたが庇いたてをしたばかりに、殺さなくともいい人間を殺してしまった……むざんな話だとは、思いませんか」
 サト子は、うなずいた。
「思いますとも……あたし泣いているのよ、心のなかで」
「あなたは、高慢なひとだ」
「ひっぱたきたい?」
 中年の私服は、あわれむようにサト子の顔を見返した。
「あなたをひっぱたいたって、どうなるものでもない、すんでしまったことだから……いや、どうも、おさわがせしました」
 おさまりかねるものがある。胸のどこかが、ひっ千切れるように痛む。サト子は、依怙地《いこじ》になって、みなのそばに立っていた。
「お手伝いしましょうか。これでも、泳ぎは上手なほうよ」
 たれも相手になってくれない。
 警官たちは、澗《ま》の海をながめながら、舟をだす相談をしている。サト子は石段をあがって、スゴスゴと芝生の庭にもどった。
 風が落ち、蒸しあげるような夕凪《ゆうなぎ》になった。
 汗ばんだ裸の脛《すね》に、スカートがベ
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