しておけないから、谷《やつ》のふところで、山岸カオルと話しているところへ行って、しょっぴいてやった」
 両国橋を渡りかけるころ、前窓《フロント》のガラスに、雨のしずくが、白い筋をひきはじめた。脇窓から、寒むいろの大川の水が見える。けさの霧で、上り下りの小蒸気や発動機船がどこかへ片付いてしまったので、川のおもてが、ひどく広々して見える。
 急に話がとぎれたので、目の隅からうかがうと、中村は目尻のあたりを青ずませ、いまにもドナリだしそうな物騒なようすをしていた。
「すごい顔をしてるわ。あたしの言ったこと、気にさわった」
 中村は顔をあげると、深い物思いから呼びさまされたひとのような、おぼろな声でこたえた。
「……むかしのことを思いだしていたもんだから……白状しますが、じつは、私にも、よく似た経験があるんだ」
 ギョロリとサト子のほうへ振り返って、
「当時、私は大尉で、『足柄《あしがら》』の副長付をしていた」
 といきまくような調子で言った。
「新婚早々で、鎌倉の材木座に住んでいたが、この前の戴冠式《たいかんしき》に、足柄で英国へ行って帰ってきたあと、どうしても、ある男に懲罰を加えてやらなけ
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