ろう」
ことしの夏こそは、この海岸でなにかすばらしいことが起こるはずだったのに、叔母にはぐらかされて、チャンスを逃してしまった。
鎌倉に呼んでもらいたいばかりに、春の終りごろから、いくども愛嬌《あいきょう》のある手紙を書いたが、今年はお客さまですから、とお断りをいただいた。
この家をまるごと、ひと夏、七万円とか十万円とかで貸していたので、お客さまうんぬんは、お体裁にすぎない。
あきらめていたら、夏の終りになって、迎いがあった。
「これからだって、面白いことは、あるにはあるのよ。いいだけ遊んでいらっしゃい」
思わせぶりなことを言い、留守番にした気で、じぶんは、こけしちゃんという、チビの女中を連れて熱海か湯河原かへ遊びに行ってしまった。
なにをして、どう遊べというのか。犬と漁師の子供では、話にならない。土用波くらいは平気だが、海いちめんのクラゲでは、足を入れる気にもなれない。
こんなことなら荻窪の家に居て、牛車で野菜を売りにくる坂田青年でも、待っているほうがよかった。色は黒いが、いい声で稗搗節《ひえつきぶし》をうたう。
「おれァ、お嬢さん、好きだよ」
などと、手放しでお愛想
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