療後の足ならしに、ときどき遊びにくると、自慢らしく言っていた。
「夏がすんだって、面白いことは、あるにはあるのよ」
 と思わせぶりなことを言っていたのは、このひとのことだったのにちがいない。
 さぐりを入れてみる。
「おとなりの……方ですの」
 青年は肩をすぼめるようにして、首をふった。
 模範的な撫《な》で肩で、ポロ・シャツの袖付《そでつけ》の線が、へんなところまでさがっている。
「ご近所の方なのね」
 療養所にいらっしゃる方、とはたずねなかったが、すなおに、青年は、はァとうなずいた。
「叔母が留守のことを知っていたので、おとなりへ遊びにいらしたというわけ?」
「ええ、ぶらぶら……」
 これで、叔母が言っていたひとにきまった。
 どう見ても、カブキの女形だ。
 まだ新人だが、ファッション・モデルという商売柄、他人の服装やタイプに、ひとかどの意見をもっている。これも、そのひとつだが、肩の無い女形が洋服を着たときくらい、恰好のつかないものはないと思っている。
 美しいといわれるような男の顔を、サト子はむかしから好かない。人間のなかの不具者の部類で、わざわいをひきおこす不幸な偏《かたよ》り、というふうに、考えることにしている。
 サト子が相手にしたいと望んでいるのは、中年以上のやつらで、こんな年ごろのヒヨッコではないが、遊んでもらいたいというのなら、交際《つきあ》ってやれないこともない。
「そんなところに立っていないで、こっちへいらしたらどう? 門のほうへ回るのはたいへんでしょう。そこからでもいいわ」
「よろしいですか?」
「跨《また》ぐなり、おし破るなり」
 マサキの枝をおしまげて、ものやさしく入ってくるのだろうと思っていたら、意外な身軽さで、ヒョイと垣根を乗りこえた。
 見事な登場ぶり……ランマンの芙蓉の花間《はなま》をすりぬけて、濡縁のそばまで来ると、
「お姉さま、握手」
 と、肉の薄い手をさしのべた。
 見かけよりは、腹のできた人物らしい。それならそれで面白い。サト子は気を入れて、あとで熱のでるほど固い握手をしてやった。
「叔母は熱海の方角へ行くと、なかなか帰って来ないのよ。こんな手でよかったら、ときどき、さわりにきてくだすってもいいわ」
「ほんとうに、おひとりなんですか」
 今更らしく、なにを言う。どうやら、たいへんなテレ屋らしい。
「ごらんのとおりよ。おあがんなさい、ジュースでも飲みましょう」
 濡縁に足跡をつけながら座敷にあがってくると、青年は縁端《えんはな》に近いところに畏《かしこま》ってすわった。
「あたし、水上サト子……あなた、なんておっしゃるの」
 青年はシナをつくりながら、甘ったれた声でこたえた。
「ぼくの名なんか……」
「古風なことを言うわね。名前ぐらい、おっしゃいよ」
「でも……」
 こういうハニカミは、育ちのいいひとがよくやる。病気のせいも、あるのかもしれない。
 サト子は、それで見なおした気になり、美しすぎる顔も、さっきほどには嫌《いや》でなくなった。
「ジュースは、オレンジ? それとも、グレープ?」
「どちらでも」
 冷蔵庫のあるほうへ立ちかけたとき、玄関の玉砂利を踏んでくる靴の音がきこえた。
「しようがねえな、玄関を開けっぱなしにして……」
 そんなことを言っている。
 中腰になって聞き耳を立てていると、玄関の客は癇癪《かんしゃく》をおこしたような声で呼んだ。
「由良さん……由良さん……どなたも、いらっしゃらないんですか」
 サト子は、座敷から怒鳴りかえした。
「居りますよッ……聞えていますから、そんな大きな声をださないでください」
 青年はモジモジしながら、腰をあげかけた。
「お客さまですね? ぼく失礼します」
「押売りでしょう、たぶん」
「もし、お客さまでしたら、朝から、ずっとここにいたと、言ってくださいませんか」
「一年も前から、ここにいたと、言ってあげるわ」
 サト子が玄関へ出てみると、近くの派出所で見かける警官が、意気ごんだ顔でタタキに立っていた。
「こりゃ、失礼しました。お留守だと思ったもんだから……むこうの山側の久慈さんの家へ、空巣《あきす》がはいりましてね。光明寺のほうへは出なかったから、このへんにモグリこんでいるんだろうと思うんです。お庭へはいって見ても、よろしいでしょうか」
「かまいませんとも……むこうの木戸から」
「ちょっと、失礼します」
 警官は西側の木戸をあけると、地境の垣根のほうへ駆けて行った。
 隣りの地内の奥まったあたりで、竹藪《たけやぶ》の薙《な》ぎたてるような音がしていたが、そのうちに、よく通る声で、だれかがこちらへ呼びかけた。
「おうい、中原……」
 垣根の裾《すそ》にしゃがんでいた警官は、緊張したようすでツイと立ちあがった。
「ここにいる」
「そこの藪つづ
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