もよこさないようになったので、この別荘はあいたままになっていた。戦争のあいだに、サト子の父と母が死に、なにかゴタゴタがあって離婚した叔母が、東京から移ってきて、自分の持家のような顔で居すわってしまった。
サト子は、めくらのように両手を前に突きだし、戸口のあたりをよろけまわった。
「どこにいらっしゃるの?……暗くて、なにも見えないわ」
ベッドのほうから、また声があった。
「大げさなことを言うのは、よしなさい。ここに、いるじゃないの」
「あッ、まだ寝ているのか……まだ御寝《ぎょし》なって、いらっしゃるんですか」
「温泉《ゆ》疲れがして、きょうは起きられそうもないわ」
叔母は、いちめん、もの臭いところがあって、一週間に一度しか風呂をたてない。風呂ぎらいの叔母が、湯疲れのでるほど温泉につかったとは思えない。疲れというのは、なにか、ほかのことらしい。
「日除をあげてもいいでしょうか」
「よろしい……ついでに、あたしを起して、ちょうだい」
ベッドのそばの日除をあげると、それで、大きな赤ん坊のように丸くふくらんだ、叔母の顔が見えるようになった。
「お起ししましょう」
骨を折って叔母をひき起すと、背中のうしろに西洋枕を二つかって、もたれるようにしてやった。
「二十三貫……ぴったりでしょう? おばさま」
叔母は、いやな顔をした。
「熱海で量ったら、二十貫、切れていた。もっとも、子供の乗る台バカリだったが」
「そういえば、お出かけになるときより、ずいぶん、すらっとなすったわ……熱い湯に、たびたびつかると、一時は、やせるといいますから」
「そういうね」
「おばさま、おやせになるために、温泉へいらしたというわけ? そうだったら、隅におけないわ」
「隅に置けないって、なんのこと?」
「ぜひとも、おやせになりたい目的が、おありになるの? あやしいわね」
「なにを言ってるんです、あなたは」
叔母は、照れかくしに怒ったような声をだしたが、この見当ははずれなかったらしい。みょうなシナをしながら、サト子を打つまねをした。
「税務課、まだネバッている? 来れば、半日ぐらいは坐りこむやつなんだ」
サト子には、叔母の気持がよくわかっている。
この別荘と土地は、アメリカへ行ったお祖父さんの名で登記したままなので、叔母は、借家人だと言い張って、固定資産税の徴収を拒みつづけている。
「いま来たひとなら、帰りました」
叔母は、なァんだという顔になって、
「あら、帰ったの?」
そう言うと、大きな伸びをした。
「そろそろ、起きようか」
「お起きになれます?」
「起きられるとも。病人でもあるまいし」
「温泉疲れで、起きられそうもないと、おっしゃっていらしたから」
「おなかがすいた……きのう、熱海で早目に夕食をしたきり、お夜食もしていないの……こけしちゃんにそう言って、すぐ、ご飯にして、ちょうだい」
サト子が、先に行って待っていると、叔母は、初袷《はつあわせ》のボッテリしたかっこうで茶の間へ出てきて、食卓につくなり、トースターでパンを焼きだした。
「サト子さん、さっき来たのは、たれだったの? あなたのボーイ・フレンド?」
「飛んでもございません。警察のひとです」
叔母は、ぎっくりと背筋を立てた。
「警察? あたしに?」
「まあ、おばさまの、お声ったら……」
叔母のおどろきようがひどいので、サト子のほうがびっくりしてしまった。
農林省の下級技官だったツレアイを課長の椅子におしあげるまで、請託や、贈物や、ザンソや、裏口の訪問や、そういう、うしろ暗いことを十何年もやった記憶があるので、警察と聞くと、なんとなく、ぎっくりするらしい。
「おばさまには、関係のないことなの。あたしのお客さま」
叔母は、ナイフで掃くようにトーストにうすくバターをなすりながら、いやな目つきでサト子のほうを見た。
「そんなことに、なるのだろうと思っていた……昨夜、あるところで聞いたんだけど、あなた、八幡さまの池のはたでポーズをして、百円とか二百円とか、モデル料をとるんだって?」
「百円、二百円ってことは、ございませんの。会の規定で、観光地の点景モデルは、一回、三百円と、きまっておりますから」
「金額はどうだっていいさ……だまし討ちみたいに、お上りさんの青年に写真をとらして、追いかけて行って、モデル料をとりあげるんだというじゃないの……鎌倉では、評判になっているのよ」
「料金をきめて、合意のうえではじめるんですから、だまし討ちということは、ございませんです」
「たれかを、太鼓橋のたもとへ追い詰めたというのは?」
「あれは、食い逃げだったの。防犯に協力する精神はよろしいと、警察にほめられました」
「バカな。警察が、そんなことをいうもんですか」
叔母は、それで、ものを言わなくなった。
サト
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