ろで、ぐっとおさえつけた。
吉右衛門は庭先に立ったまま、むずかしい顔で、
「お笑いに、ならんのですか」
「あら、どうして?」
「私が名を名乗って、笑いださなかったのは、過去現在を通じて、あなただけです」
そういいながら、広縁に浅く掛けた。
サト子は椅子にいるわけにもいかなくなって、そばへ行って坐った。
「なにか、ご用でしたの」
「このへんまで、散歩に来たもんだから、ちょっと」
サト子は、笑いながら切りこんだ。
「散歩、という顔ではないみたい。あなた、あたしを女賊の下っぱくらいに思っているんでしょ? いま、ギョロリとにらんだ目つきが、そんなふうだったわ」
吉右衛門は、率直にうなずいた。
「そう思ったことも、ないではないが、そのほうの嫌疑は、氷解しました……市内に貼ってあるあなたのポスターですが、腕脛をまるだしにして、公衆の前に立つ以上に、公正な態度は、ないものでしょう……モデル、水上サト子と書いてありましたが、あれは芸名ですか」
「戸籍についている名ですのよ……ついでに、血統と毛並みのぐあいを、書きこんでおいてもらえばよかった」
「お怒りにならんでください。邪推は、われわれの病です。私が海軍にいたころは、これでも、まっすぐにものを見る人間でしたが……」
海のほうへ尻目づかいをしながら、
「このあいだの空巣の件も、われわれの誤算だったのかもしれない」
そういうと、そっと溜息《ためいき》をついた。
ずいぶん、いい加減なものだと思うと、気が立ってきて、サト子は言わずもがなの皮肉を言った。
「警察だって、誤算することが、ありますわねえ」
「それはそうですとも。どうせ、人間のすることだから」
「それで、どこがマチガイだったの?」
「空巣をやるような人間は、死んでも捕《つか》まるまいというような、けなげな精神は持っておらんものです……あれは、空巣以外の、何者か、だったんでしょうな」
サト子は、勇気をだしてたずねてみた。
「死体は、あがったんですか?」
中村は、首を振った。
「それで、また澗をのぞきにきたってわけなのね?」
「きょうは、ちょうど初七日だから……七日目に、死体があがるなんていうのは、迷信だとは思いますが」
あの夜、同僚も漁師も帰して、このひとがひとりで錨繩《いかりなわ》をひいていた、孤独なすがたを思いだした。
「警察というところは、死体を捜すのに、あんな努力をするものなのね。見なおしたわ」
吉右衛門は、黙然と海のほうをながめていたが、ポケットから煙草を出して火をつけた。
「中止しろと言ってきましたが、やめずにやっていたので、譴責《けんせき》を食いました……近いうちに、どこかへ転勤になるのでしょう」
泣いているのかと思って、サト子は、吉右衛門の顔をのぞいて見た。
「あれは、あなたの趣味なの?」
吉右衛門は、乏《とぼ》しい顔で笑った。
「趣味ってことはない……私は、作戦の都合で、助ければ助けられる部下を、何人か目の前で溺れさせました。いのちを見捨てたばかりでなく、死体ひとつ、ひきあげることができなかった……そのときの無念の思いが、いまも忘れられずに、こころのどこかに残っていて……」
サト子は、吉右衛門を戦争の追憶からひきはなすために、わざと強い調子で言った。
「戦争の話、もういいわ」
「たれも、もう戦争の話は聞きたがらない……だが、戦争の惨害を、トコトンまで味わった人間でなくては、ほんとうに人間のいのちをいとおしむ気持には、なれないものです」
「人間のいのちを、いとおしむために、戦争をしてみる必要も、あるわけなのね?」
むっとして、サト子の顔を見かえすと、吉右衛門は、失礼しますと言って帰って行った。
女中が、奥さまがお呼びですと、言いにきた。
「おはよう、おばさま……お目ざめですか」
日除が影をおとす、うす暗いところから返事があった。
「サト子なの?」
右手の壁ぎわに、三面鏡や、電蓄や、レコードの箱や、雑多なものをかた寄せ、その反対側に、夜卓《やたく》とフロア・スタンドをひきつけ、いぜんお祖父さんのものだった、バカでかいベッドのうえで、叔母がむこう向きになって寝ていた。
海沿いにあるこの別宅は、お祖父さんのものだった。
飯島の崖の上にこの別荘を建てたよく年、すごい台風がきて、庭先まで波がうちあげ、お祖父さんは、びっくりして、ここにコンクリートの洋間の一郭をつくった。
台風が来そうになると、海にむいた広縁の雨戸にスジカイを打って、ここへ逃げこむ。洋間の一郭と、母屋《おもや》の間にある木戸は、高潮が来たとき、裏の崖へ駆けあがるための逃げ口なのだ。
サト子が、小さかったころには、まいとし、この別荘にきて、ながい夏の日を遊びくらしたものだが、その後、お祖父さんは、アメリカへ行ったきり、たより
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