郭ごとそっくり姿を消し、そのあとに、小径づくりの茶庭を控えた数寄屋が建っていた。
「すっかり変ってしまったわね」
「古いものは、なにも残っていません。パパが言っていましたよ、気に入ってくれればいいがって……パパはあなたのために、やっているんです、つまるところはね」
 秋川が献上の帯に白足袋という装《なり》で玄関へ出てきた。
「いらっしゃい……訳のわからない電報で、びっくりなすったでしょう」
「きょうは、おふたりの誕生日のお祝い?」
「それもあるが、その前に、ちょっとお話を」
 愛一郎と暁子に、あなたたちは庭で遊んでいなさいと言い、先に立って、サト子を奥の客間へ連れて行った。
「お勤めのほうは、どんなぐあいです?」
 ソファに掛けるなり、秋川がたずねた。
「資源庁の外局なんかとちがって、みな、よく勉強するそうじゃないですか」
「技官の指導で、雇員だけのグループでウラニウム資源の研究会のようなものをやっています。……でも、どうして、そんなこと、ごぞんじ?」
「あなたをあそこへ入れたのは、われわれの仕業だったんです」
 祖父の死や、神月の自殺や、偽ドルのかかりあい、質の悪い外国人に国外へ連れだされかけたゴタゴタのあと、麻布の家の夢のような贅沢な生活からほうりだされてから、地道な職業につきたい思いで、鉱山保安局にいる叔父のところへあらためて就職の依頼に行ったら、あっさりと川崎の鉱山調査研究所の雇員にしてくれた。叔父の紹介だとばかり思っていたが、こんなところにも、秋川の陰の力が働いていたのらしい。
「あなたのお話を伺っていると、あたしは将棋の歩《ふ》で、上手な将棋差しの手にかかって、いいように動かされているみたい」
 秋川は笑いながら、
「ウラニウムという化物の正体を、いくらかでも見きわめておくのは、あなたとしても、必要なことだと思ったから……これは、坂田君の意見ででもあるのですが」
 坂田という名がサト子の耳に逆らった。
「坂田って、いったい、どういうひとなんでしょう? 西荻窪の植木屋の前で牛車をとめて、縁に腰をかけて稗搗節をうたったりするので、素朴ないい青年だと思っていたのですが、日米タイムスには、水上の遺産を横領した山師だ、なんて書いてありましたね……遺産のことはもちろん、お祖父さんがシアトルで死んだことさえ、長いあいだ、ただのひと言も、口からだしませんでしたわ」
「いま遺産とおっしゃったが、そんなものは存在しないのですよ。苗木の谷のウラニウム鉱山は、坂田君が水上氏から一ドルで買ったものですが、それに付随するうるさい問題があって、たいへんに紛糾した……新聞でお読みになったでしょうが、あなたがいられた麻布のウィルソンの家は、横浜税関の差押物件になり、当のウィルソンはアメリカへ送還された。パーマーはドイツへ帰るそうだし、山岸は損になることはしない男だから、これも間もなくひっこむでしょう……ここへ辿りついたのは、並々ならぬ苦労のすえのことで、その間、坂田君が悪党だと思われてもしようのないような、むずかしい時期があったのだと思ってください」
 サト子は気のない調子でたずねた。
「ウラニウムの話ばかり出るようですけど、きょうは、なにかそういうことでも?」
「坂田君が、苗木の谷の鉱業権をオプションにかけるので、これからそれをやります……奥の書斎に、飯島の叔母さまがいられます。立会人として、シアトルから来た有江老人も」
「オプションというのは、二者択一の入札のことですね。オプションは、参加権料といってすごい権利金がいるものなんでしょう?」
「坂田君は、そんなものは要求していません……水上さんの長女の由良ふみ子さんと、お孫さんのあなたのふたりだけを参加権者に指定している、といったくらいのところ……むずかしいことはなにもない。あなたがこうと思う値段を紙に書いて、坂田君に手渡しすればそれでいいのです……失礼だが、その金は私に保証させていただきましょう」
 サト子は、じっくりと考えてから言った。
「……ということは、あたしと飯島の叔母の争いになるわけなのね? どうしても、そうしなくちゃ、いけないんですの?」
「坂田君としては、ぜひともあなたに買っていただきたいらしい。そうできれば、水上氏の臨終のご意志も疎通するわけだから」
「山岸さんの芳夫さんが、言っていましたが、日本では父の遺産は、たとえどんな遺言書があっても、一応、直系卑属のところへ全部行くものなんでしょう? あたしは孫ですから、叔母にその気があれば、半分くらいもらえる程度で、それ以上の権利はないはずなんです」
 秋川はサト子の肩に手を置きながら、
「それはそうだが、その前に、こういうことを考えてみてください……日本には、原子力を管理する、原子力委員会というようなものもない。ウラニウム輸出禁止の法
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