大矢シヅが、流し場で泣いている。なにか言ってやりたかったが、マゴマゴしているうちに、カオルに廊下へおしだされてしまった。
さまざまな意匠
サト子の部屋へ行くと、カオルは手套《マフ》をベッドのうえになげだして、グッタリと向きあう椅子にかけた。
「頭の悪い連中の相手になっていると、芯が疲れるわ」
サト子は、調子をあわせるように、曖昧にうなずいてみせた。
「なかなか、たいしたもんだったわ」
カオルは、だるそうにテーブルに肱をつきながら、
「ひとごとみたいに言うわね。あなたのお祖父さんの財産の問題なのよ」
と、つきはなすように言った。
サト子が知っているかぎりでは、お祖父さんの財産といえば、いま叔母が住んでいる鎌倉の別荘と、恵那の谷の奥にある、先祖伝来のわずかばかりの土地だけだ。
「飯島の家はともかく、恵那にある土地ってのは、付知川べりのひどい荒地で、水の涸《か》れた磧《かわら》のつづきに、河原|撫子《なでしこ》が咲いている写真を見たことがあったわ。あんなもの、財産なんていうのかしら」
カオルは、いっこうに気のないようすで、
「このごろ、東北や九州でウラニウムが出て、そのへんの土が、一匁いくらとかで売れるって騒いでるでしょう。苗木の村の、なんとかいう地主が、羨《うらや》ましい羨ましいで頭が変になって、じぶんの土地からウラニウムが出たなんて触れて歩いたのが、こんどの騒ぎのモトらしいわ……これだけ言ったら、おおよその察しがつくでしょう。バカな話なのよ」
カオルの言い回しのなかに、説明するより、話を外らして、ウヤムヤにしてしまおうといった語気が感じられた。
含んだような言いかたをしたり、話を外らしたりして、ものごとをはっきりさせないのがカオルの癖だから、そうだというなら、うなずいておくしかない。サト子としては、ウラニウムなんかの話より、じぶんのことにしか興味を持ちえない、我儘なカオルが、なんのために、こうまで熱烈に庇いたてするのか。むしろ、そのほうが聞いてみたいくらいだったけれども、どうせ、まともな返事をするはずがないと思って、あきらめた。
「ウラニウムって、どんなものか知らないけど、あの抜け目のない叔母が、そんな他愛《たあい》のない話に乗るでしょうか」
「あなたの叔母さまって、あれで、相当に山っ気あるのね。そんな話を、まるまる信じたわけでもないのでしょうが、やはり気になったのだとみえて、三年前に、訴訟までして離婚した、もとのご亭主……ごめんなさい、鉱山局にいる由良さんのところへ相談に行ったふうなの。あのへんの谷から、ウラニウムが出る可能性があるものだろうかということなんでしょう……由良さんは、離婚裁判でひどい目に逢って以来、あなたの叔母さまを憎んでいるし、業《ごう》つくばりの腹の底を見ぬいたもんだから、ウラニウムってものは、世界中、どこの土地にもあるものだというような、皮肉な返事をなすったんだそうよ。原理として、ウラニウムは、なにかのかたちで、どこにでもあるものなんだから、出鱈目《でたらめ》を言ったわけでもないの」
「叔父は、ひねくれてしまったらしいから、それくらいなことは言うでしょう……でも、山岸さんや、秋川さんみたいなひとまで、大騒ぎをするのは、どういうわけなのかしら」
「そこまでのことは、あたしも知らないけど、それにはそれだけのわけがあるんでしょうよ……この間、アメリカのウラニウム・ラッシュの話を聞いたけど、ガイガー計数管ひとつで、千万ドルもころげこんだというような前例がいくつもあるそうだから、あれにひっかかると、正気な頭も、狂いだすものらしいわ」
サト子は、無意味な会話に疲れ、心のなかで耐えながら、なんの興味もない話をだまって聞いていた。
「シアトルの有江という公証人が、水上さんの委任を受けて、日本にある財産の整理に来ることになっているでしょう。あのひとたちが大騒ぎをしているのは、つまるところは、有江というひとが横浜に着く前に、なんとかして、じぶんのほうへ取り込もうという障害競馬の大レース……風刺劇の見本のようなものね。由良課長が笑っていたわ……出ないとはいわない。苗木の谷の斜面を五里ほども掘り崩したら、一ミリグラムぐらいのウラニウムがとれるかもしれないって」
そういうと、やりきれないといったふうに、くっくっと笑った。サト子は、つられて、
「どうせ、そんなことだろうと思ったわ」
と、いっしょになって笑いだした。
カオルは、帽子のネットをあげて、ようすよく眼を拭くと、サト子の顔をのぞきこむようにして、
「あなた、これからどうする?」
と、だしぬけに問いかけた。
なぜか、気が沈む……サト子は、どうでもよくなって、うつろな声で、言った。
「どうするって、なんのこと?」
「きょうのようなゴタゴタだけでも
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