いてありました」
「オセッカイな手紙だわね」
芳夫が、白々とした顔でつづけた。
「終戦の四年目に、ご尊父が乞食のような恰好で、アメリカから帰っていらした……」
「目もあてられない様子だったわ」
「じぶんのもののような顔で、居すわっていられるが、飯島の家は、本来、水上氏のものなんでしょう。それなのに、着たっきりになって帰ってきたご尊父を、座敷にもあげずに追いだしてしまった」
「そんなことまで書いてあるんですか?……あなたの注釈だったら、やめておきなさい」
「そう書いてあるんです……水上氏は、行きどころがないので、郷里へ帰った。岐阜県の恵那の苗木の奥に、崩れ残っている先祖の家に住んで、ガイガー計数管を持って、付知川の谷間を歩きまわっているうちに、三万カウントのサマルスキー石にうちあたった」
「あたしが追いださなかったら、恵那へ帰らなかったはずだし、ウラニウムにも、ぶちあたらなかった……感謝していいわけじゃないかしら」
「水上氏は、そう複雑には考えなかった……単純に、あなたを憎いと思って、三百五十万ドルの鉱業権は、死んでも、あなたに渡すまいと決心した」
「むかしから、そういうエコジなひとなの」
「日本の相続法では、どんな遺言書を書いても、遺産は、一応、長女であるあなたのところへ行く……サト子さんが訴訟をおこしても、均分相続ということになって、長女なるあなたの手に、半分は残る……水上氏は、それではあきらめきれないので、証人を二人立てて、将来、サト子さんに再譲渡するという約束で、鉱業権を一ドルで坂田にわたした……有償で譲渡した形式にして、坂田にサト子さんの代襲相続をさせたわけです」
由良は、足をバタバタさせながら叫んだ。
「たった一ドルで!……なんという気違いなんだろう」
ネオン・チューブに灯が入り、暗くおどんでいた部屋のなかが、浮きたつように明るくなった。サロン・バアのピアノは、まだつづいている。
「そういう条件で、坂田がサト子の代襲相続をしたことは、りっぱな証人が二人もあるんだから、坂田をおさえつけるぐらいは、わけのないことだ」
「そう簡単にいくでしょうか……代襲相続というのは、言葉の上だけのことで、たとえ一ドルにもせよ、代償を払って譲り受けたのだから、坂田がノーと首を振れば、これは、どうにもならない。結局は、長い訴訟になる……おばさまは賢夫人だし、離婚訴訟で、法律の通《つう》になっていられるから、そのへんのことは、おわかりでしょうが、問題は、ほかにもあるんです」
「どんなことなのか、言っていただきましょう。ね。聞くだけのことは、聞いておく心要があるから」
「このごろ、姉が、さかんに神月のところへ出かけて行く……西ドイツから新兵器の売込みに来ている、パーマーというやつの秘書兼通訳をしていることは、ごぞんじでしょう」
「知ってるわ」
「姉は、パーマーと神月を結びつけて、ひと仕事しようとしているらしい、そういう形跡があるんです」
「神月は、これと、どういうツナガリがあるのかしら?」
「水上氏が、苗木の鉱山で砂鉄をとっていた磁気工業から、採掘権の委譲をうけるとき、神月から、いくらか金を借りている。坂田が水上氏の借金を返済したという話は聞かないから、鉱業権を移すような場合には、出資者として、神月はものをいえる立場にあるわけです」
「あんなひとが挾まっているとは、あたしも知らなかった」
「有江氏の手紙で、わかったことなんでしょ。しかし、おやじは、神月のほうは問題にしていない。秋川から仕送りをうけて、食っている状態だから、どう動きだそうと、たいしたことはない。心配なのは、むしろ秋川氏のほうです」
由良は、びくっとして芳夫の顔を見た。
「秋川って、もと開発銀行のなにかをしていた、秋川良作のことなの?」
「あの秋川……細君が死んでから、ひっこんでいるけど、買う気になれば、十三億くらいの金は、どこからでも持ってくる。アメリカの原子力委員会が、折紙をつけたほど確かなものなら、どこへもやらずに、日本にとっておきたいと、たれにしたって、思うでしょうから」
由良が溜息をついた。
「秋川までがねえ……それで、なにか、それらしいことがあるの?」
「この夏の終りに、秋川の親子が、サト子さんを扇ヶ谷の家へひっぱりこんで、ひと晩、泊めたという事実があるんです……このごろ、聞いた話だけど」
「その話、あなた、たれから聞いた?」
「姉から」
「カオルさん、秋川なんかのところへも、出かけて行くんですか」
「思いたつと、夜でも夜中でも、ひとりで車で出かけて行きます。誰も居ない空家へ、寝っころがりに行くんだ、なんていっていますが、裏になにがあるのか、たれも知らない」
仮装人物
「きょうは、なにか、耳に痛いことばかり伺ったけど……」
由良が、むっとしたように、
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