察というところは、必要があれば、そんなことまで道具に使うものなの?」
「どんなことだって……そうすると、愛一郎は、コロリと落ちた。なにもかも、みなうちあけたよ」
「ひどいことをするのね」
 中村は、額を撫でながら、
「そういったものでもない……神月は、追放解除になってから、秋川の仕送りでカツカツにやっているが、むかしの夢を忘れきれない。もういちど大きく乗りだしたいと焦《あせ》っている……恵那《えな》のウラニウムの試掘の件で、秋川にまとまった金をだしてもらいたいのだが、神月は、秋川を恐れているので、じぶんでは、言いだせない」
 そう言うと、サト子に、
「あなたは、苗木のウラニウムのことは、聞いたでしょう?」
 と、だしぬけに、たずねかけた
「ウラニウムって、原子爆弾のウラニウムのこと?」
「まあ、そうです」
「いいえ、なにも」
 中村はうなずいて、
「知らなければ、知らないでもいい……それで、父親に絶対なる説得力をもっている愛一郎を、おどかした……」
 愛一郎が、神月から母の古い恋文をとりかえそうというのは、母の追福のためだと想像していたが、そんなロマンチックなことでもなかったらしい。
「へえ、そんなことがあったんですか……愛一郎、どうだったの? 相手が神月じゃ、勝目はなかったでしょう」
 車は、特徴のある、鼻声のような、警笛を鳴らし、前の車を追い越しながら、猛烈なスピードで三原橋のほうへ飛ばしている。
「いや、負けちゃいなかった。神月の申し出を断わって、少年探偵モドキに、神月の屋敷を捜しまわったようなことも、あったらしい」
「あのひとなら、それくらいなことは、するでしょう」
「……捜すものは見つからなかった。愛一郎は、古い恋文を送りつけられるのを恐れて、門の郵便受の前で、張番をしていた長い時期がある」
 あの夜、扇ヶ谷の家で、秋川が、あれはあなたの手紙を待って、郵便受の前で張番をするようなことまでしていると言った。サト子を、愛一郎の愛人だと思いこんでいるようでは、それほどの息子の苦労を、秋川は知らずにいるのらしい。
「飯島の久慈の家へはいりこんだのは、あの日だけでなくて、三月ほどの間に、五回以上も行っている……久慈の娘には、あなたに会いたくて、なんて、うまいことを言っていた事実もある。もっとも、そうでもしなければ、他人の家へ、そう、しげしげと入りこめるものではないから」
 サト子は疑問をおこして、たずねてみた。
「すると、空巣にまちがえられたのは、なぜなの?」
「暁子のほうは、じぶんに会いにきてくれると思いこんでいるので、愛一郎がいるあいだじゅう、そばを離れないから、家捜しをすることができない。それで、あの日、暁子の留守にはいりこんだのだが、女中が代ったばかりで、愛一郎の顔を知らない。空巣だと思って、材木座の派出所へ電話をかけたので、ああいう結末になった」
 三原橋の近くまで来ると、エンジンをかけたまま十字路の角でパークし、運転手が、都電の線路ごしに、築地のほうから木挽町《こびきちょう》の通りへはいってくる車を、熱心にながめだした。
 中村は、横目でサト子の顔色をうかがいながら、
「ウラニウムの話はべつにして、最近、思いがけないことがあったでしょう?……たとえば、たれかが、訳も云わずに、何万ドルという金を持ちこんできた、なんてことが……」
「そんなこと、なかったわ」
 サト子は、急に不安になって、
「含んだようなことばかりいわれると、こわくなっちまう……それは、あたしに関係のあることなんですか」
 中村は脇窓のほうを見ながら、
「将来、そんな意外なことも、起りうるだろうということですよ。あなたはこれから、独力で、えらいやつに立ち向かうことになるんだが、見かけよりは、しっかりしているようだから、たぶん……うまく、やるでしょう」
「そんな謎みたいなことばかり言っていないで、わかるように話してください……愛一郎や秋川氏の話がでたけど、あのひとたちにも、関係のあることなんですか」
「もちろん」
「秋川夫人の古い恋文にも?」
 中村は、キラリと目を光らせた。
「間接にはね……だが、そんな皮肉は言わないでおきなさい」
「ごめんなさい……すると、神月なんかにも?」
「ほかに、山岸弁護士の親子や、あなたのおばさんや……」
 いきなりスターターがはいり、車が飛びあがるような勢いで走りだした。
「来たらしい」
 木挽町の町幅いっぱいになっている車の流れから、エメラルド色のセダンが一台ぬけだし、十字路を左に折れて、新橋のほうへ走って行く。中村の車は、都電の線路を横切って後を追っていたが、汐留の長いコンクリートの塀のあたりで、並行して走りだした。むこうの運転席の脇窓と、こちらの車房の脇窓が並ぶ位置になると、中村は、いきなり座席に身を伏せた。
「むこう
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