は、青年の居るほうを顎でしゃくりながら、間をおかずに切りこんできた。
「それで、こちらの方は?」
サト子は、鼻にかかった声で、はぐらかしにかかった。
「そんなことまで、言わなくっちゃ、いけないんですの?」
警官は苦笑しながら、うなずいた。
「つまり、ボーイ・フレンドってわけですか」
そうだと言えば、あとでむずかしいことになる。サト子は、あいまいに笑ってみせた。
青年が、すらりと座から立った。
「水なら、ぼくが汲んできてあげましょう」
口笛を吹きながら、勝手のほうへ行ったが、なかなか帰って来ない。
そのうちに、中年の私服の額に、暗い稲妻のようなものが走った。
はじまったと思うより早く、三人の警官は一斉に立ちあがって、木戸口から前庭のほうへ走りだした。
まっさきに崖端《がけはな》へ行きついた警官が、海のほうを見ながら叫んだ。
「あんなところを泳いでいる」
「やァ、飛んだか」
そんなことを言いながら、海につづく石段を、ひとかたまりになってドタドタと降りて行った。
サト子は、つられて庭の端まで出てみた。
むこうの海……砲台下の澗《ま》になったところを、苦しみながら、青年が泳いでいる。
「おうい、小坪まで泳ぐ気かよ」
「死ぬぞ、ひきかえせ」
青年は、こちらへ顔をむけかえたが、もう帰ってくることはできなかった。いそがしく浮き沈みし、二三度、手で水を叩いたと思うと、あっ気なく海のなかへ沈みこんでしまった。
岩端の波のうちかえすところに、青年の灰色のポロ・シャツが、大きなクラゲのようになって浮いていた。
「空巣ぐらいで、死ぬことはなかろうに」
中年の私服は、沈んだ顔つきで、海からポロ・シャツをひきあげた。
「バカな野郎だ」
月の光で
サト子が、石段を駆けおりて、磯の波うちぎわへ行くと、中年の刑事が、苦々しい口調でつぶやいた。
「かわいそうなことをした」
サト子は、カッとなって、私服の前へ行った。
「あたしが殺したとでも、言ってるみたい」
「あなたが、どうだと言ってるんじゃない。あのとき、われわれに協力してくれたら、殺さなくとも、すんでいたろう、ということです」
若いほうの警官が、サト子を睨みつけながら、憎らしそうに言った。
「空巣だけなら、十犯かさねたって、死刑になることはないからな」
「だから、そう言ったでしょう。灰色のポロ・シャツを着たチンピラなら、ここにもひとり居るって……あなたたち、相手にもしなかったじゃ、ありませんか」
もう一人の警官が息巻いた。
「だいたい君は、ひとをバカにしているよ」
サト子は、笑いながら、言った。
「あなた、なにを怒っているんです?」
「空巣を庇うなんてことが、あるか、てんだ」
「失礼ですけど、庇ったりしたおぼえはないわ」
「あの男は、生垣を乗りこえてはいって来た。君は怪しいとも思わなかったのか」
「そこのところが、ちょっと、ちがうの。あのひとは垣根を乗りこえたりしませんでした。おはいりなさいって誘ったのは、あたしだったのよ」
「なんのために?」
「おとなりの方だと思ったからよ。おかしなことなんか、なにもないでしょ?」
若い警官は横をむいて、聞えよがしにつぶやいた。
「これはまア、おっそろしく気の強いお嬢さんだ」
サト子は負けずに、やりかえした。
「そうだと思って、ちょうだい」
中年の刑事は、なだめるように言った。
「なにかにとおっしゃるが、正直なところ、いくらかはあの男を庇う気があったんだね? この方はとたずねたら、あなたは返事をしなかった」
「ボーイ・フレンドだろうなんて、失礼なことを言ったでしょう。たれが、返事なんか、するもんですか」
「つまり、そこです……あのとき、否《いや》とかノオとか、言ってくれたら、すぐ、ひっつかまえていた。あなたが庇いたてをしたばかりに、殺さなくともいい人間を殺してしまった……むざんな話だとは、思いませんか」
サト子は、うなずいた。
「思いますとも……あたし泣いているのよ、心のなかで」
「あなたは、高慢なひとだ」
「ひっぱたきたい?」
中年の私服は、あわれむようにサト子の顔を見返した。
「あなたをひっぱたいたって、どうなるものでもない、すんでしまったことだから……いや、どうも、おさわがせしました」
おさまりかねるものがある。胸のどこかが、ひっ千切れるように痛む。サト子は、依怙地《いこじ》になって、みなのそばに立っていた。
「お手伝いしましょうか。これでも、泳ぎは上手なほうよ」
たれも相手になってくれない。
警官たちは、澗《ま》の海をながめながら、舟をだす相談をしている。サト子は石段をあがって、スゴスゴと芝生の庭にもどった。
風が落ち、蒸しあげるような夕凪《ゆうなぎ》になった。
汗ばんだ裸の脛《すね》に、スカートがベ
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