読破するには日本の解釈に通ぜねば教義的解決は不可能であるといって差支えないのである。第四原本と別立するほどでもないが、日本仏教を味読するだけの眼力がなければ仏教を学び得たとはいえないのであります。この点が西洋の進歩した学者とシナの先進学者の脳底に映じてきたのであります。日本に存在せる仏教研究学派が世界に認められたわけであります。研究学派の存在と相俟って研究材料の存在が三十種の一切経保存と無数の註解末書の存在によって立証されたのであります。
 一言に言えば、日本には研究の仏教、倶舎、唯識、三論もあれば、思索の仏教(華厳、天台)もある。実行の仏教(律)もあれば冥想の仏教(禅、真言)もある。信念の仏教浄土もある。仏教が行く所まで行って思想進展の頂点にまで達したのは日本であることを忘れてはならぬ。これが東西の学界に認められるに至ったのである。
[#地から2字上げ]「昭和五年二月十五日、外務省文化事業部に於ける講演」



底本:「高楠順次郎全集 第一巻」教育新潮社
   1977(昭和52)年2月25日第1刷発行
初出:外務省文化事業部に於ける講演
   1930(昭和5)年2月15日
※「仏」と「佛」、「残」と「殘」、「飜訳」と「翻訳」、「ヴェーダ」と「ベーダ」、「吠※[#「口+它」、第3水準1−14−88]」と「吠陀」、「来」と「來」、「満州」と「満洲」の混在は底本通りにしました。
入力:大橋重紀
校正:小林繁雄
2009年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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