かくわれわれはインドに出てインドに亡びてしまい、シナに出てシナで亡びてしまったものを保存している。しかもインドにもなく、シナにもなく、朝鮮にもセイロンにも安南にもないという組織でこれを研究して持ち続けている。それはどういう組織かというと、まず教学の組織としては、一切経を研究するのにはそれぞれの順序がある。倶舎、唯識、三論というように順序がある。「唯識三年倶舎八年」というように今まで伝えられた。推古帝の時に法隆学問寺が出来まして、それが聖徳太子の時の大学であった。それから東大寺が仏教大学の組織を有するに至った時には、普通の大学と分れて、普通の大学は大学頭を戴いて法政、暦数、史書などの研究をする。仏教の方にも法相衆、三論衆、華厳衆など部門を分っていた。
 足利時代、聖フランシスコ・ザビエルが日本に初めて耶蘇教を弘めたのでありますが、その時に日本に七つの大学があるといって仏教大学のことを報告している。当時大学と見てよいものが多くあった。高野山学林、三井寺学林、比叡山学林などに明了に分っている。京都に南禅寺学林、妙心寺学林かと思われるものがある。外に足利学林がある。大宮学林(熱田)がある。とに
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