いていの国の民族は亡びたといってよいようになる。
しかしインドは決してそうではない。どんなに国が奪われても財力が奪われても、われわれのあらゆるものを奪い取ってもわれわれの精神を奪い取ることは出来ないであろう。武力で抵抗することができなければ無抵抗の抵抗で行く、抵抗はしないがわれわれは満足しないということは十分に表現しているというふうに、今ガンジーがやっているようなぐあいのやり方をインド人は正当防禦の方法として考えているのであります。そればかりでなく、終にあらゆるものを奪われてインドは貧乏な乞食の国になってしまったが、自分たちは乞食の生活をしておっても決してわれわれの理想の一部分も失うことはしないと信じている。事実インドの乞食の中には立派な哲学者もいるのであります。
私は雪山の中に行きました時に、石窟の中にもぐもぐしている乞食がおったので、私はそれを呼び出しまして毛布を敷いてそこでだんだん話してみると、われわれの知っているような、ヨーロッパ人の研究しているようなウバニシャットの哲学であれ吠※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《ヴェーダ》であれ、こっちのいうだけのことは向うは相当
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