法典であるから重きをおかなければならぬということをいっております。論蔵というのは、仏弟子の作ったものである。この経律論を合せて三蔵という、三つの蔵に納めて区別する意味である、これが一切経である。一切というのは経ばかりではない、経律論の三つを三蔵といい又大蔵というのである。一切経、大蔵経というのは実は経ばかりではないが、主たるものについて名を立てたのである。その三蔵をみな知っているのを三蔵法師と名づける。
玄奘三蔵とか、義浄三蔵とかいう人がそれであります。その一切経の初めは迦葉が、仏が自分の説いた法を以て師匠とせよといわれたのに基づいて、その仰せを守って仏弟子五百人を集めて仏の説かれた法を集めて一切経を拵えた、そしてこれだけ仏の教えがあったとして残したのであります。残したといっても仏の入滅せられた年から凡そ四百七、八十年の間は文字にも何にも書いてなかった、無字の一切経で文字なしに空に覚えておったのである。するとそれじゃ怪しいものだという人があるでありましょうが、インドはなかなか怪しくない。バラモンの教えには三|吠陀《ベーダ》といって十万頌もあるものを今まで曽て書いたことはない、口から耳
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