ま》を出し、矢台《やたい》を出すというような儀式、これは皆インドの儀式に相違ない。それを教えまたいろいろそれに関しての作法も教えたのであろうと思うが、平安朝になって貞観十八年円如法師が広峰山から牛頭天王を招待して、京都の今の八坂神社の所に移した、これを感神院祇園社と謂う。これは新羅の牛頭山に在ます素盞嗚《スサノオ》尊を勧請して祭ったともいう。ともかくインドの牛頭天王と合祭してある。それが維新後神仏判然の時代となり仏教系の神を棄てた、八坂神社の前に牛頭天王と書いた額面は取除くことを忘れた。
牛頭天王と素盞嗚尊とうまいぐあいに関係を付けたと思いますのは、牛頭天王も素盞嗚尊も朝鮮に行かれた、また出られたともいう。朝鮮の牛頭里いまは「ソシモリ」というが、ソシというのは牛ということで、モリというのは頭という意味に相違ない。頭を「おつむり」というから「モリ」は頭の意と思います。それでソシモリの里、即ち牛頭山に素盞嗚尊がおられた。素盞嗚尊というのも「スサ」というのは牛の意かも知れない。ところが牛頭天王は祇園精舎の鎮守の神であるが、インド祇園の山の名前は知れていないが多分牛頭山といったに相違ない。牛
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