す。まず四千年と見ましょう、シナも殆ど同じくらいであろうと思うのであります。
シナも大変古い国のようにわれわれも考えておりますし、また文献が比較的永く存しておりますから非常に古いように思われるのでありますが、インドもやはりそれで誤っていたのであります。文献がずっと初めからのが残っている、リグヴェーダ(梨倶吠※[#「口+它」、第3水準1−14−88])というものがその侭に残っているから、是は紀元前五千年くらい前から始まっているのだろうということをいう人もあるのでありますが、この頃の私の考えではどうしても紀元前二千年より古くは見られないと思うのであります。シナの方もだんだん研究して行ったら紀元前どのくらい古いのであるか、私はその方は深く考えたこともありませんが、そう非常に古いものではない、その古さは多少の差があるにしても、これも四千年ぐらいは慥にあったでありましょう。しかし何といっても東方ではシナ文化とインド文化、この二つが対立した大きな文化であるということは争われないことであります。
この両大文明の間に雪山という大きな障壁が出来ているのであります。雪山はご承知のように、富士山のような一つの山ではないので、屏風の如くにインドの北面に東から西に走っている山脈で、それが世界第一の高山である。たといそれが第二としても第一より余計は下らない高山であります。西を見れば西に去る所を知らず、東を見れば東に去る所を知らず、見渡す限り十萬白竜天に朝する勢を為して走っている一大山脈である、これをインド人は世界の背梁骨だといっている。この障壁は両文明が相互に融和することを妨げたのであります。しかし妨げたといっても、シナ文明がインドの方に来るのを妨げたのである。シナの政治的の勢力はインドに一度は及びました。蒙古の朝の時にはモグルエンパイヤ(蒙古王朝)というのが起こって、インド、ペルシャを征服して王朝を形作ったのでありますが、これはインドばかりでなく、その時にその被害を逃れたのは東洋では日本だけで、あとはことごとく南洋もシャムも朝鮮も到るところ蒙古の勢力には降服したのであります。西の方はずっとペルシャから小アジアは無論のこと、ヨーロッパに入ってドイツの軍隊と和を講じて、そして北に向って進んで行ってロシア全土を征服した。それでロシアを征服して元の出た所のバイカルに戻って来たというのが蒙古の成吉
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