、かかる寺院組織の完備は自然の発達に待つとすると従来の寺院組織は日本として誇るに足るものであります。
 学林としても残っているし、寺院としても残っている。すなわち学問としても残っており、信仰としても残っている。こういうぐあいに一寸刻みにやって残しているのは、これは日本人がやったので日本人が偉いのだと思います。儒教でもそうであります。儒教はシナで出来たものでありますが、シナは儒教の国ではない。シナ人自身が儒教を棄ててしまった。棄てるばかりではない、全体儒教が分っていない。忠と説いても忠を徹底的に教えたのは日本人のみで、シナでは分っていない。儒教の精神を本当に理解しているのは日本人である。しかし震災の当時に日本唯一の孔子の像を焼いてしまった。誰一人これを助けにいかなかったのは遺憾でありますが、これは儒教は信仰として残ったものでないから、そうだったのかも知れませぬ。
 そういう訳でシナは儒教の国ではない。シナの土地が痩せている。インドは仏教の国ではない。当時哲学的にはインドが一番進んでおった、けれどもインドは本当に仏教を理解していない。今頃になって気付いて、十年前の統計では三千人しか仏教徒と書いて出す者がなかったが、十年後の統計で見ると三十二万八千五百人の人が仏教徒と書き出した。これはインド人が自覚してきたからでありますが、結局自分の国で棄てたことを後悔している。聖徳太子が言われたように日本は大乗相応の地である、大乗に適応した国は日本であるというのであるが、聖徳太子が適応するように、率土の浜王土に非ざるなしという憲法を書き出されて、日本の組織と仏教の組織とを合一せしめられた方針が重きを為しているのだと思います。日本の文明は仏教によって完成したといって差支えないと思います。而して仏教というものを今日のように研究の上でも、信仰の上でも、組織の上でも十分に完全にしたというのは日本人だから出来たので、日本人はこの点にはよほど偉いところがある。何でも来る物はみな受けるというのなら道教などでもきていそうなものである。聖武天皇に向って唐の玄宗皇帝は道教の道士を送ってやろうということを何遍も言われたが、聖武天皇は道教は日本には要らないと仰せられた。また耶蘇教でももう少し日本の耶蘇教者が研究を重ねて、あんなふうな西洋式でなくやったら日本的耶蘇教が日本で出来たでしょうが、いつも西洋の耶蘇教の
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