かく学問としての仏教を各宗共に大学校をおいて研究している。日本で一宗派を開くに一切経を読みこなして、仏一代の教えを判別して分類し、自分は何れの部分に依って宗派を立つるということを宣明する。これが宗旨を立つる上に最も必要な仕事である。これを「判教」と名付ける。それでありますから一宗を建立するということはよほどむずかしい。後のものは宗祖の判教に依って自派の学的系統を相承せねば信仰の目標も成り立たない。この判教ということが学問組織を完成せしめた所以である。したがって学林祖織というものが出来、各宗派でも一つの大学を持っているようになった。西洋のどんな宗旨だってこんなに各宗派にみな大学を持っているようなことはありませぬ。これを文部大臣が普通の大学と同じように見て、仏教大学じゃいかぬ、竜谷大学にしろ、曹洞宗大学ではいかぬから駒沢大学にしろというように、俗名を付けさして普通の法律大学と一緒に扱う方法を設けたのはこの美しい組織を破壊したわけであります。これは岡田文部大臣だけは分っていた。かくの如く学林というような特別な組織があって、学林組織が今日まで続いている。次には寺院組織である。これは信仰としての組織である。各宗派とも別に門戸を張っている。学問の方は宗旨にのみ依らないで、倶舎の実在教も、唯識の理想教も、華厳の汎神教も、法華の実相教も研究していくのであるが、これは学問じゃない、信仰としての方面だけが寺院組織となったのであります。
それは寺院の門末関係である。各宗派とも門末関係が出来て、それが秩序整然たる特殊の組織として残っている。これは朝鮮に行ってもないし、シナに行ってもないし、インドに行っても尚更ない。どの国に行っても日本のように徹底的な組織はない。これは日本の家族制度の組織がかくはっきりならしめた所以であります。その中で一層堅固に世襲で行くというような宗派もある。寺院組織を潰さないようにするのはわれわれの目前の要件であると思う。寺院仏教とか伝統宗教とかいって悪口はするものの、如何にしてもこれに似るべき組織は出来得ないのである。これは朝鮮にもないものでありますから、総督府は遽かに三十本山を認めたが、選び方がいけなかったので、その下に本山よりも偉い寺があるというようになって、多少困難に陥っている。とにかく一旦認めたのだからやめてはいかぬというので三十の本山を今も認めておりますが
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