と思います。長老を「テーラ」といいますからこれに家の字を付けて寺家、今の寺家というのと同じことであったと信ずる。それと同じことであったと信ずる。それと同じ浮屠というのは仏のことでありますが、シナでフトというから、それに家を付けて浮屠家《ふとけ》といったのが「ほとけ」の名だと思います。そういうぐあいに、皿も梵語、幡も梵語である。閼伽(水)ももちろん梵語である、旦那も施主の意味で梵語である。そこにバラモンがおりましたので直接間接に教わったものと見ることが出来るのであります。萬葉集にこういう短歌がありますが、その意味は近頃まで解釈が出来なかった。
[#ここから3字下げ]
バラモンの作れる小田をはむ烏
   まなぶたはれてはたほこに居り
[#ここで字下げ終わり]
 この歌の意味が古人には分らなかった。バラモンが奈良朝に荘園を貰って田を作っていたということが分ればこれは何でもないことでありますが、そのバラモンの作った田をはむ烏までもバラモンの説教の感化を受けて、まなぶたはれて即ち涙を澪してはたほこに止っている、「ハタ」というのもインド語です。仏教の習慣では説法する時は法幢を建てるといって幡を立てて説法する。萬葉時代にバラモンの活躍という事実があったことを知ればかく解るのは適当と思います。それから骰子の遊び、これもインドから移って来たもので、サイコロの「サイ」というのは、博奕のことをパラサイというのでこれを略した名である。パラサイというのはこの遊びのインド語であります。萬葉の時には「カリ」という博奕があった、これは梵語でカリというのは一点を付けた骰子の名である。「コロ」というのは梵語で「クル」というのは「成就せよ」「出て来い」というような意味であるから転ばす時に「クル」といって投げ、望みの目が出た時は「クリタ」(成就した)という。クリタは四点の目で勝利を示すのである。この勝負に敗けたら酒を賭けるというのは酒づく、といい、人を泊らせる約束を寝づく、米を賭けるのを米づくという。この言葉もやはり梵語から来たのだと思います。ヅフ即ち搾取する意である。それから天平時代に、今のバラモン僧正より前からあるのでありますが、密陀絵という絵風がある油絵である。
 推古天皇の玉蟲の厨子も密陀絵であります、これはペルシャの言葉で「ムルダーセン」というのである。これは薬の名で、同時に絵の具に用いたもので
前へ 次へ
全36ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高楠 順次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング