法句經
荻原雲來訳註

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)對告衆《あひて》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)本書|波梨《ぱーり》語の

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「りっしんべん+喬」、第3水準1−84−61]慢

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Dharmata_ta〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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     序

 法句の語は大別して二種の義に解釋せらる、一は法は教の義にして法句とは釋尊の教の文句なり、又他の一は法は本體を詮し、一切萬象の終極の體即ち涅槃の義、而して句の原語は元來足跡の義にして、轉じて道或は句の義となりしものなれば、その原の意味にて道の義と解すれば法句は涅槃への道とも譯せらる、涅槃への道は換言せば覺らす教の意味なり、今は何れにても可なれども、古來漢譯されて人口に膾炙せるまゝ法句と稱へたり。

   内容一般

 法句の内容は各章の題號にても察せらるゝが如く、佛教の立脚地より日常道徳の規準を教へたるもの、社會は生活苦、病苦、老苦、相愛別離の苦、仇敵會合の苦、乃至は死苦に惱まされ、さいなまる、如何にして是等の苦惱を永久に脱し得べきか、如何にして絶待安穩なる涅槃に達し得べきか、換言せば、世人は事物の眞相に通ぜず、妄念、謬見、貪愛、※[#「りっしんべん+喬」、第3水準1−84−61]慢等の心の病の爲に苦しめられ、不明にして執著し、違背し、日夜擾惱を増す、智慧の眼を開いて妄念に打克てば身心ともに安靜なることを得、終に涅槃の状態に達す、此の意味を教ゆるが佛教の目的なり、法句經の所詮なり、修養の龜鑑とし、道業の警策として、座右に備へ朝夕披讀し、拳々服膺せば、精神の向上發展、動作の方正勤勉、處世の要術、何れの方面にも良藥たらざる無し。

   製作者と年代

 法句經は全部頌文より成る、古代佛教の聖典たる律や經の中に散在せる金玉の名句を集めたるもの所謂る教訓句集(didactic stanzas)とか、華句集(anthology)とかと稱すべきものにて、作者は勿論釋尊とす、其書の性質上、時代を經るに隨つて本文に増減を來すを免れず、西紀二二四に竺律※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]と呉支謙とが共譯せる法句は五百偈本に更に足して七百五十三偈ありとす、而して支謙(?)の記する所に由れば當時已に五百偈、七百偈、九百偈の三本ありとす、今譯出する所の波梨本は二十六章四百二十三頌あり、重複せる一頌を除けば四百二十二頌なり、この頌數の少き點より見て波梨所傳の方が一層故きを知るべし。
 集録者は不明なれども、北方所傳の法句經即ち波梨所傳に増加したる集録は法救(〔Dharmata_ta〕)撰と傳へらる、而して法救の年代は詳ならざれども佛滅後約四百年、西紀前一世紀頃ならんと推定せらる、然らば波梨所傳の法句は前述の理に因り是より以前ならざる可らず、又集録せし時はたとひ佛滅後若干百年を經しとするも、集められたる頌文の大部分は佛陀の自説たるや疑なし、又後年佛弟子の追加※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入の頌文を含むにしても。

   佛教中に於ける位置

 佛の説法は質問者ありて、此に對して酬答する時と、問者無きに佛が進んで教訓する時とあり、前者は對告衆《あひて》の性質、情想等を顧慮して隨宜の説を爲し、所謂る應病與なれば、目的を達する爲には時と處とに應じて適宜の處致を採らるゝは勿論なり、然るに後者の場合は何時も是の如くならず、直に佛の眞意を發露し教訓せらるゝこと寧ろ多に居るべし、法句は或は※[#「烏+おおざと」、第3水準1−92−75]陀南(〔Uda_nam〕)とも云はる、無問自説と翻ぜらる、心の琴線に觸れて詠出せる詩なり、此の點より見ても、法句經は單刀直入的に釋迦教の本意を探るに最もふさはしきものなり。單に文句が原始的成立なるに由るのみに非ず。
 本書|波梨《ぱーり》語の原本は今より八十一年前安政二年に丁抹の學者ファスボェル此を公刊し、且つ羅甸語の譯を添へたり、爾來英・獨・佛・伊等各國の語に翻譯せられ、歐人間荐に珍讀せらる、我邦にては明治三十九年に常盤大定君は英漢譯に和譯を加へ出版せられたるも、君の文は英譯に基づきしものにて未だ原本ありのまゝを紹介したるに非ず、僕不肖を顧みず出來得るかぎり原意を傳へんとし、兼て學生の波梨原本を讀むものに便ぜんがため文を潤飾せず、句調を整へず、拙譯を試み、新譯法句經と題し、雜誌宗教界に載せたり、爾來二十有三年後の今日岩波書店主の慫慂に因り、前稿を修正し、注解を益し、一書として再び公表しぬ。

   昭和十年四月[#地から2字上げ]荻原雲來
[#改丁]

    第一 雙敍の部

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二首づつ對比して述べてあるを以て雙敍と名づく。
[#ここで字下げ終わり]

 一 諸事意を以て先とし、意を主とし、意より成る、人若し穢れたる意を以て語り、又は働く時は其がために苦の彼に隨ふこと猶ほ車輪の此を牽くものに隨ふが如し。
 二 諸事意を以て先とし、意を主とし、意より成る、人若し淨き意を以て語り、又は働く時は其がために樂の彼に隨ふこと影の(形を)離れざるが如し。
 三 彼れ我を罵り、我を打ち、我を破り、我を掠めたりと堅く執する人の怒は息むことなし。
 四 彼れ我を罵り、我を打ち、我を破り、我を掠めたりと堅く執せざる人の怒は止息に歸す。
 五 世の中に怨は怨にて息むべきやう無し。無怨にて息む、此の法易はることなし。
 六 然るに他の人々は、「我々は世の中に於て自制を要す」と悟らず、人若し斯く悟れば其がために爭は息む。
 七 生活に安逸を求め、感官を護らず、飮食度なく、懈怠怯弱なれば、魔は彼を伏す、猶ほ風の弱き樹に於けるが如し。

[#ここから2字下げ]
感官を護らず―視、聽、嗅、味、觸の五欲を恣にすること。
[#ここで字下げ終わり]

 八 生活に安逸を求めず、感官を護り、飮食度あり、信心あり、勇猛なれば、魔は彼を伏せず、猶ほ風の巍然たる山に於けるが如し。
 九 自ら濁穢《ぢよくゑ》を離れずして濁穢の衣を著んとするも、自制と眞實とを缺くときは彼は濁穢の衣に應ぜず。

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濁穢の衣―袈裟の翻名なり、又は不正色とも言ふ。
[#ここで字下げ終わり]

 一〇 自ら濁穢を吐き、專ら善く諸の戒を念じ、自制と眞實とを具ふるときは彼は濁穢の衣に應ず。
 一一 不實を實と謂《おも》ひ又實を不實と見る人は、實を了解せずして邪思惟に住す。
 一二 實を實と知り不實を不實と知る人は、實を了解して正思惟に住す。
 一三 屋を葺くに粗なれば雨漏るが如く、心に修養なくんば、貪欲之を穿つ。
 一四 屋を葺くに密なれば雨漏らざるが如く、心善く修養すれば、貪欲之を穿たず。
 一五 現世に憂へ、死して後憂へ、罪を造れる人は兩處に憂ふ、彼れ憂へ、彼れ痛む、己の雜染の業を見て。
 一六 現世に喜こび、死して後喜こび、福を造れる人は兩處に喜ぶ、彼れ歡こび、彼れ喜こぶ、己の清淨の業を見て。
 一七 現世に惱み、死して後惱み、罪を造れる人は兩處に惱む、「我れ惡を造れり」と惟うて惱み、惡趣に墮ちて更に惱む。
 一八 現世に慶こび、死して後慶こび、福を造れる人は兩處に慶こぶ、「我れ福を造れり」と惟うて慶こび、善趣に生じて更に慶こぶ。
 一九 經文を誦むこと多しと雖も、此を行はざる放逸の人は、他人の牛を數ふる牧者の如く、宗教家の列に入らず。
 二〇 經文を誦むこと少なしと雖も、法を遵行し、貪瞋癡を棄て、知識正當に、心全く解脱し、此世他世ともに執著することなき、彼は宗教家の列に入る。
[#改ページ]

    第二 不放逸の部

 二一 不放逸は不死に到り、放逸は死に到る、不放逸の者は死せず、放逸の者は死せるに同じ。
 二二 明かに此の理を知りて善く不放逸なる人々は不放逸を歡こび、聖者の境界を樂しむ。
 二三 彼等は靜慮し、堅忍し、常に勇猛に、聰慧にして無上安穩の涅槃を得。
 二四 奮勵し、熟慮し、淨き作業を勉め、自ら制し、如法に生活し、不放逸なれば、其人の稱譽は増長す。
 二五 奮勵により、不放逸により、制御により、又訓練により智者は暴流に漂蕩せられざる洲を作るべし。

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洲―避難處又は歸依處の義。
[#ここで字下げ終わり]

 二六 愚なる凡夫は放逸に耽る、智者は不放逸を護ること猶ほ珍財を護るが如くす。
 二七 放逸に耽る勿れ、欲樂を習ふ勿れ、靜慮不放逸なる人は大なる樂を得。
 二八 不放逸により放逸を却けたる識者は智慧の閣に昇り、憂なく、憂ある人を觀る、山上に居る人が平地の人を(觀るが)如く、泰然として愚者を觀る。
 二九 逸放の中に在りて不放逸に、眠れる中に處して能く寤めたる賢人は駿馬の如く駑馬を後にして進む。
 三〇 摩掲梵は不放逸によりて諸神の主となるを得たり、人咸な不放逸を稱贊す、放逸は常に非難せらる。

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摩掲梵―寛仁の義にして因陀羅の一名。
[#ここで字下げ終わり]

 三一 不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は行きつゝ粗細の結を燒く、猶ほ火の如し。

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行きつゝ―世に生活しつゝの義。
結―煩惱の異名。
[#ここで字下げ終わり]

 三二 不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は退轉するの理なし、彼は既に涅槃に近づけり。
[#改ページ]

    第三 心の部

 三三 心は輕躁動轉し護り難く御し難し、智者は之を正しくす、猶ほ弓匠の箭に於けるが如し。
 三四 水の住處より取り出され、陸に投ぜられたる魚の如く、魔の支配を逃れんとして我等の心は戰慄す。
 三五 輕く止め難き、恣まゝなる心の調伏善い哉、調伏されたる心は樂を引く。
 三六 甚だ見難き、甚だ微細なる、恣まゝなる心を智者は護るべし、護られたる心は樂を引く。
 三七 遠く去り、獨り行き、身なき、密處に隱るゝ心を能く制御する人は魔の縛を脱《のが》る。

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密處―心臟のこと。
[#ここで字下げ終わり]

 三八 心安住せず、正法を知らず、信心浮動すれば智圓滿せず。
 三九 心の貪著を離れ、思慮擾亂せず、已に罪福《よしあし》(の想)を離れ、覺悟せる人には怖畏あることなし。
 四〇 此の身は瓶の如しと觀、此の心を城の如く安住せしめ、慧の武器を以て魔と戰ひ、彼の捕虜を守り懈廢すること勿れ。

[#ここから2字下げ]
瓶―身の危脆なるを譬へたるなり。
[#ここで字下げ終わり]

 四一 嗟、此の身久しからずして地上に横たはらん、神識逝けば棄てられ、猶ほ無用の材の如けん。
 四二 怨が怨に對して爲し、敵が敵に對して爲す處は如何なりとも、邪に向ふ心の造る害惡に若くものなし。
 四三 母、父、また其他の親戚の爲す所は如何なりとも、正に向ふ心の造れる幸福に若くものなし。
[#改ページ]

    第四 華の部

 四四 誰か此の地を征服す、(誰か)又此の閻魔界と天界とを征服す、誰か善説の寂靜への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くする。

[#ここから2字下げ]
此の地―人、餓鬼、畜生。
閻魔界―地獄。
[#ここで字下げ終わり]

 四五 佛教を學ぶ人は(此の)地を征服す、又此の閻魔界と天界とを(征服す)、佛教を學ぶ人は善説の寂靜への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くす。
 四六 此の身は水沫の如しと知り、陽炎の如しと覺る人は魔羅の華箭を壞り、死王を覩ることなし。

[#ここから2字下げ]
魔羅の華箭―吾人の心を誘惑する諸の欲境に喩ふ。
死王―所謂閻魔王にして「死王を覩」とは死して地獄に墮つるを謂ふ。
[#ここで字下げ終わり]

 四七 
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